4月10日は、知る人ぞ知るさだまさしさんのお誕生日です。
そこで、今日はさださんのMC集の中から「桜」の話題をお送りしたいと思います。
★★★★★★★★★★★★★★★★★
日本人なら誰でも、大好きな桜の木っていうのが1本くらいあると思うんですよ。
僕も1本ありましてね。東京のある公園の中に咲いている桜の中の1本なんです。
もう立派な木でね。樹齢が150年くらいですか。すごいですね、150年平然と生きて毎年、毎年、美しい花を咲かせる。
素晴らしい生き物ですね、植物というのはね。
毎年、その桜に会いたくなって、通い始めてもう10年以上経ちますかね。(2003年当時)
何とはなしにその木が好きなんですよ。
その木の下で空を見上げていると、花冷えって言葉があるくらいですから、桜のシーズンは夜はクッと冷えてくるんですけど、寒い中でビールを飲むほど切ない事はないですね。
歯がカチカチいうほど寒い日でも、桜の木を見ながらビールの缶をプシュッと抜いて、昨年の花見から今年の花見までの事を、その木と話をする。
何だか、そんな十数年を過ごしてくるとね、何かその木に気に入られているのが分かるんですよ。
何故分かるかというと、忙しい仕事のさ中、それでも時間が空いたからちょっと行こうかという時に、いつ行ってもその桜の木の下だけ、たった今宴会が終わり人が帰りましたというような感じで、桜が僕を待っているんです。
何か、偶然とは思えないんですよ。
昨年、3000回のコンサートを東京でやったのが3月21日でした。
実は何と、気象庁始まって以来なんですって。昨年3月20日に東京で桜が満開になったのは。
俺は、この桜の木に会いに行きました。夜こっそりと。日本酒持って、挨拶に行きました。
「明日3000回って時に、おまえが咲かせてくれたのかい? 俺の為に、燦然と輝く3000回!」
で、酒をちょっと振る舞ってね、見上げながらまた色んな話をした。
小学校の隣の公園に咲いている木だから、一本の枝が大きく伸び過ぎて、ガラス窓に当たったのか、スッパリと大きな枝が切られていてね。
いつもだと空が桜の花で埋まっているのに、その日は星が見えた。
ああ、だから会いに来いっていう合図だったのかな?なんてね。
人間というのは、自分の都合の為とはいえ、ずい分な事をするもんだと思いながら、一緒に酒を酌み交わした。
桜が好きだった歌人・西行が詠んだ歌がある。
「願わくは花の下にて 春死なん その如月の望月の頃」
如月と言えば2月。2月の満月の時に桜の花の下で死ねたら、なんてかっこいいんだろう、って歌です。
誰だってそう思うでしょう。でも、あり得ないと思っていました。
如月の望月の頃に桜の花びらの下で死ぬなんてあり得ないと思っていましたが、昨年3月20日に満開を迎えたのを見ていると、ちょうど陰暦で言うと如月の、もしかしたら満月の頃に死ぬ事は可能なのかなあ、とふっと思ったのであります。
★★★★★★★★★★★★★★★★★
桜の木が切られるって、切ないですね。
先日、鎌倉の「リラ音楽セラピー」に行った時、もうじき伐採されてしまう桜の歌声を聴いた方がしたためた旋律に、胸が締め付けられました。
私にはとっても悲しい旋律に聴こえてしまったのですが、それでも桜は悲しんで歌っていたのではないと言われました。
http://ameblo.jp/aries-misa/entry-11778524668.html?
桜って、健気ではかなくもあり、しかし、強くて美しく、何かとっても惹かれるものがありますね。
このさださんの同じCDに、「心に刻むナバホ族の言い伝え」というのがあるのを発見しました!
『この地球環境、大地、地球、この土地、これらは我々が先祖から譲り受けたものではない。
この大地は、我々がほんの少しの間、我々の子孫から借りているものだ。』
大地は、私たちのものではなく、子孫から、ちょっとの間だけ借りているものだと言うのです。
さださんは、言います。
自分の命もそう考えられないだろうか?
自分の命は、自分のものだと思うから命を無駄に使う。
これは借りているものだと思う事は出来ないだろうか?
子供は親の持ち物ではないんだ。
子供は、産まれた瞬間、誰かから預けられた大事な命なんだ。
やがて、自分の命も返す時が来る。
その時に、本当にどうもありがとう。短かったけど楽しかった、と言って返す事が出来たらいい。
生きることはとっても大変な事。歳を取らなければ分からない事がある。
一歩一歩の積み重ね。生きた様にしか死ねないよ。
一生懸命生きていれば、一生懸命生きた様に死ぬ事が出来るのかも知れない。。
★★★
さださん、お誕生日おめでとうございます!
![ペタしてね]()
そこで、今日はさださんのMC集の中から「桜」の話題をお送りしたいと思います。
★★★★★★★★★★★★★★★★★
日本人なら誰でも、大好きな桜の木っていうのが1本くらいあると思うんですよ。
僕も1本ありましてね。東京のある公園の中に咲いている桜の中の1本なんです。
もう立派な木でね。樹齢が150年くらいですか。すごいですね、150年平然と生きて毎年、毎年、美しい花を咲かせる。
素晴らしい生き物ですね、植物というのはね。
毎年、その桜に会いたくなって、通い始めてもう10年以上経ちますかね。(2003年当時)
何とはなしにその木が好きなんですよ。
その木の下で空を見上げていると、花冷えって言葉があるくらいですから、桜のシーズンは夜はクッと冷えてくるんですけど、寒い中でビールを飲むほど切ない事はないですね。
歯がカチカチいうほど寒い日でも、桜の木を見ながらビールの缶をプシュッと抜いて、昨年の花見から今年の花見までの事を、その木と話をする。
何だか、そんな十数年を過ごしてくるとね、何かその木に気に入られているのが分かるんですよ。
何故分かるかというと、忙しい仕事のさ中、それでも時間が空いたからちょっと行こうかという時に、いつ行ってもその桜の木の下だけ、たった今宴会が終わり人が帰りましたというような感じで、桜が僕を待っているんです。
何か、偶然とは思えないんですよ。
昨年、3000回のコンサートを東京でやったのが3月21日でした。
実は何と、気象庁始まって以来なんですって。昨年3月20日に東京で桜が満開になったのは。
俺は、この桜の木に会いに行きました。夜こっそりと。日本酒持って、挨拶に行きました。
「明日3000回って時に、おまえが咲かせてくれたのかい? 俺の為に、燦然と輝く3000回!」
で、酒をちょっと振る舞ってね、見上げながらまた色んな話をした。
小学校の隣の公園に咲いている木だから、一本の枝が大きく伸び過ぎて、ガラス窓に当たったのか、スッパリと大きな枝が切られていてね。
いつもだと空が桜の花で埋まっているのに、その日は星が見えた。
ああ、だから会いに来いっていう合図だったのかな?なんてね。
人間というのは、自分の都合の為とはいえ、ずい分な事をするもんだと思いながら、一緒に酒を酌み交わした。
桜が好きだった歌人・西行が詠んだ歌がある。
「願わくは花の下にて 春死なん その如月の望月の頃」
如月と言えば2月。2月の満月の時に桜の花の下で死ねたら、なんてかっこいいんだろう、って歌です。
誰だってそう思うでしょう。でも、あり得ないと思っていました。
如月の望月の頃に桜の花びらの下で死ぬなんてあり得ないと思っていましたが、昨年3月20日に満開を迎えたのを見ていると、ちょうど陰暦で言うと如月の、もしかしたら満月の頃に死ぬ事は可能なのかなあ、とふっと思ったのであります。
★★★★★★★★★★★★★★★★★
桜の木が切られるって、切ないですね。
先日、鎌倉の「リラ音楽セラピー」に行った時、もうじき伐採されてしまう桜の歌声を聴いた方がしたためた旋律に、胸が締め付けられました。
私にはとっても悲しい旋律に聴こえてしまったのですが、それでも桜は悲しんで歌っていたのではないと言われました。
http://ameblo.jp/aries-misa/entry-11778524668.html?
桜って、健気ではかなくもあり、しかし、強くて美しく、何かとっても惹かれるものがありますね。
このさださんの同じCDに、「心に刻むナバホ族の言い伝え」というのがあるのを発見しました!
『この地球環境、大地、地球、この土地、これらは我々が先祖から譲り受けたものではない。
この大地は、我々がほんの少しの間、我々の子孫から借りているものだ。』
大地は、私たちのものではなく、子孫から、ちょっとの間だけ借りているものだと言うのです。
さださんは、言います。
自分の命もそう考えられないだろうか?
自分の命は、自分のものだと思うから命を無駄に使う。
これは借りているものだと思う事は出来ないだろうか?
子供は親の持ち物ではないんだ。
子供は、産まれた瞬間、誰かから預けられた大事な命なんだ。
やがて、自分の命も返す時が来る。
その時に、本当にどうもありがとう。短かったけど楽しかった、と言って返す事が出来たらいい。
生きることはとっても大変な事。歳を取らなければ分からない事がある。
一歩一歩の積み重ね。生きた様にしか死ねないよ。
一生懸命生きていれば、一生懸命生きた様に死ぬ事が出来るのかも知れない。。
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さださん、お誕生日おめでとうございます!
