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波動を上げるには パート3

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広報係である私がこの時期に、作家・佐藤愛子さんの娘さんと出会った意味はどこにあるのかと考えた時に、現代の私たちが忘れてしまったものが、アイヌの精神にあるということ。

その尊い精神が、私たちの先祖によって蹂躙されたという事実を知ることが必要なのではないかと思うようになりました。

たくさんの方たちが、これらを学ぶことがアイヌの方達の無念を晴らし、浄化させ、世の中を明るくさせる一歩になるのではないかとも考えました。

その為に、愛子さんの著書「私の遺言」より、アイヌの迫害の歴史を抜粋していきます。

私の遺言 (新潮文庫)/新潮社
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「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、もともとは「カムイ」という自然を指す言葉に対しての「人間」という意味であった。

アイヌ民族は、自分たちの土地をアイヌモシリ(島)と呼んでいた。

だが、そのアイヌモシリの平和は奥州藤原氏の滅亡によって、残党の一部が逃げ込んだ頃から次第に失われて行く。

藤原氏残党ばかりでなく、アイヌモシリには本州から夜盗強盗などの流刑囚が送られて来た。

それに加えてアイヌモシリの物産を求めて一儲けを企む商人も逐次増えて行った。

そしてアイヌ民族は、それらの和人によって「夷狄(いてき)」「無知の夷」「愚直の者」「禽獣の類」などと言われる。

いわゆる「アイヌ勘定」に象徴される数々の狡智や腕力をもって漁場を奪い、土地の物産を騙し取った。

そんな和人の怖れ知らずの横暴に、うっ積していた不満が爆発したのが1457年の「コシャマインの蜂起」である。

コシャマインは、渡島半島のコタンの酋長たちを統合する総酋長だった。

この蜂起のきっかけというのは、一人のアイヌの少年が、鍛冶屋にマキリ(漁業用包丁)を作らせた。

photo:01


そのマキリの値段がめっぽう高い。

その上に切れないというので争いとなって、鍛冶屋が少年を刺し殺した。

おそらく鍛冶屋は相手を侮って、いい加減なマキリを作り、法外な鮭かニシンを要求したのだろう。

コシャマインが蜂起したのは、その事件の翌年である。

渡島半島の海外には、和人側が築いた館が12あったが、コシャマイン軍は次々に攻め落とし2館だけが残った。

アイヌ軍はまことに勇敢だったのである。

しかし、「武田信広を惣大将として、敵の酋長コシャマイン父子二人を射殺し、ウタリ数多を斬殺す。

之によりて、凶賊ことごとく敗北す。」と「新羅之記録」にある。

コシャマインは死に、武田信広は松前藩の祖となり、以後松前藩のアイヌ制圧が始まるのである。

第二の蜂起は、それから212年後、シベチャリ(静内町)の酋長シャクシャインによって起こった。

コシャマインの死後、実に200年余り、松前藩はアイヌの温和・善良につけ込んで、一方的な収奪、圧制を行った。

例えば、奥地に砂金が出ることを発見した松前藩は、砂金採掘場を増やし、無宿人や山師たちを狩り集めて坑夫として送り込んだ。

彼らによって暴力沙汰が頻発し、アイヌ部族の女性は乱暴される。

その上、川底の砂を掘るために鮭やマスが減ってアイヌの生活は脅かされるようになった。

それに対して抗議に行ったアイヌエカシ(長老)は酒を飲まされ、落とし穴に突き落とされて死んだ。

1669年6月、シャクシャインのげきによって、全島のアイヌ部族は一斉に蜂起し、夏を迎える頃は松前城下に迫る勢いだった。

だが、秋が近づくにつれて、狩猟用の毒矢や太刀、ヤリで戦うアイヌ軍は、鉄砲で攻める松前軍に坑し切れず、シベチャリ川を望む断崖の上の砦に籠城した。

そこには鉄砲の弾も届かぬ自然の要害であるため、攻撃軍は和議を申し入れて、だまし討ちにする事を考えた。

シャクシャインは、その申し出を受け、部下を率いて松前軍の陣営を訪れた。

10月23日、和議の酒宴が開かれ、シャクシャインは酒を飲まされ、斬られて死んだ。

翌年、松前藩はアイヌの各酋長に向って「殿様にどんなことを命令されてもこれに従う」という誓約書を押しつけた。

違反した時は「神々の罰をこうむり、子孫まで絶え果て申すべくそうろう」と記されていたが、文字の読めないアイヌはわからぬままに諒承したのであろう。

以後アイヌモシリは、あたかも松前領になったかのように、欲しいままにされていくのである。

シャクシャインの死から120年後、「クナシリ・メナシの蜂起」が起こる。

直接の原因は、江戸の豪商・飛騨屋久兵衛のアイヌに対する虐待である。

久兵衛は、アイヌ虐待史に残る人物だと言われるほど残忍な男で、アイヌを強制連行して牛馬のように酷使した。

働けぬ者は殺すと威し、餓死する者を見捨てた。

当時クナシリ島には、ツキノエという剛勇で聡明な酋長がいた。

クナシリ島は山が少なく、従って大河もないために、近海で獲る魚が生活の糧であった。

そのため、本島や近くのエトロフ島までやって来るロシア人と交易を結んで生計を立てていた。

ツキノエは、この島に和人を入れるとどんな事になるかをよく知っていた。

そこへ飛騨屋久兵衛が、船を繰り出して乗り込んで来た。

ツキノエはこれを拒んで、船に積んであった物品を奪ってしまった。

この行動によって「ツキノエは奸智に長けたあくどい男」だという評があるが、ツキノエはひとたび船を入れた時の結果を見通していたからだという反論もある。

飛騨屋からの訴えを受けて、松前藩はツキノエを本島から締め出すという報復に出た。

本島の和人やアイヌ部族にツキノエとの交易を禁止したのだ。

仕方なくツキノエは、クナシリ島に飛騨屋を受け入れる事に同意する。

そしてクナシリのアイヌ部族は奴隷と化した。

しかし「クナシリの蜂起」は、ツキノエの指導ではない。

ツキノエが島を離れている留守の間に、過酷な労働に駆り立てられ、報酬は欺き取られ、妻は番人のなぐさみものとされ、労働に耐えられなくなれば殺されるという地獄の日々に、我慢出来なくなったアイヌたちが、自然の勢いとして決起したものである。

対岸のメナシ地方のアイヌ部族も、たちまち同調した。

出稼ぎ先から戻って来たツキノエは驚いて、蜂起軍に反抗をやめるように説得した。

反抗を続けても、やがては松前軍が来て皆殺しにされてしまう事が分かっていたのだろう。

蜂起は腰くだけになり、降伏した蜂起の首謀者37人は、ノッカマブの浜辺で処刑された。

そうして「クナシリ・メナシの蜂起」は終息し、それはアイヌ部族が和人に刃向かった最後の戦いとなった。

それから約80年経って、時代は明治になった。

明治維新によって、日本の国は変わったが、アイヌ民族の抑圧の歴史は、形を変えて尚も続いたのである。

★★★

アイヌ民族は、山・川・原野・森・樹々・草、そしてそこに棲息している獣や鳥や魚など、自然の万物すべてのものに神が存在すると信じている。

それゆえ、大自然の調和を壊すようなことは決してせず、木を伐るにも、魚やけものを捕獲するにも、生きるために必要な量だけしか獲らず、その都度それを与えて下さった神に感謝をするという、美しい魂を持つ民族である。

鳥の卵を二つ見つければ、後から来る者のためにひとつ残しておくという、共存の風習もあった。

菅野茂氏の「アイヌの碑」より

父はその年、初めて鮭が獲れると、鮭をまな板に載せて囲炉裏の横座に置き、頭を火の方に、腹を左座の方に向けます。

父は右座に坐り、最初に鮭の方に向いて、ていねいに礼をし、アイヌ語で「今日はこの家においで下さって、本当にありがとう」と言います。

次に、囲炉裏の火に向かって、火の神に「今年になって今日初めて鮭を獲って参りました。どうぞお喜び下さい。

この鮭このものは、私ども人間が食べるばかりでなく、神々と共に食べ、そして虫のように小さい私の子供たちとも食べるものです。

どうぞ今後たくさんの鮭が獲れますようお守り下さい。」とお祈りするのです。

★★★

祈りが終わると鮭を大鍋で煮て、近所の年寄りたちを呼んで皆で食べる。

人々が帰る時は鮭を持たせ「あなたの家の火の神を通じて神々に分け与えて下さい」と言ったという。

どんなに鮭がたくさん遡上して来ても、決して乱獲などしなかった。

自然と共存している暮らしの中では、すべては特定の者の所有ではなく、農耕社会が産み出した「富」とは無縁だったからである。

★★★<以上、抜粋終わり>★★★★

全てのものに神が宿ると考え、あらゆるものに感謝を捧げ、欲張らない生き方はホピ族をはじめ、ネイティヴ民族共通の生き方です。

そして、彼らもアイヌと同じく白人らによって迫害された歴史を持っています。

アイヌと同じ血が流れる沖縄の人々は、今も苦しみ続けています。そして、シャクシャインたちのように決起しようとしています。

これらの共通点はどうしてなんでしょう。

私たちは、本来、アイヌ民族のような純粋な魂を持っていたはずです。

今こそ、あらためてその事を思い出す時なのかも知れません。

アイヌ民族に謝罪と感謝。全てのものに感謝。

地球を感謝の気持ちでいっぱいにすれば、何かが変わるように思えるのは気のせいでしょうか。

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