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窮地に立たされて安倍氏のデタラメ演説炸裂

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🟣沖縄ビーチが黒い軽石だらけに

これは、1400キロ以上離れた小笠原諸島の「福徳岡ノ場」で発生した巨大噴火に伴う軽石であるとみられている。






軽石が原因で、漁が出来ないそうです。

小笠原諸島の噴火が、こんなにも離れた場所に影響を与えているのですね。


🔵安倍氏のデタラメ演説



苦戦が予想されている自民候補が、揃って”悪質なウソ”で野党統一候補を非難しているようだけど、さすが「元祖・大ウソつき」の安倍元総理はウソの質が違う!!

ネット上でも、”風前の灯”の安倍サポ軍団が、安倍氏の発言を懸命に称えては野党叩きに励んでいるけど、(安倍氏本人を含めて)自分たちの利権や権益をどうにか守るために、相当に必死になっているのがよく伝わってくる!

さすがは、子飼いの候補を当選させるために、暴力団とかかわりがある人物に対立候補の選挙妨害を依頼したこともある(その後、報酬をケチったせいで、自宅に火炎瓶を投げ込まれた)安倍元総理だけのことはあるというか、

自らの目的や欲望のためには一切の手段を選ばないというか、この男の頭の中には「ルールを守る(法治国家の原則)」という概念がそもそも存在していないのだろう。

<抜粋終わり>






『3度目のあれ』も作るのかな?🤣


🟠米原への旅報告続き

お次は、「伊夫岐神社」に連れて行っていただきました。


伊夫岐神社は伊吹山の麓に鎮座する神社で、古くから霊峰として信仰の厚い伊吹山の神を御祭神として祀られています。

トールさんは、身長が180センチ以上もあるので、私は、ロズウェルで墜落した宇宙船から捕獲された宇宙人のようになりました🤣



伊吹山の神はこちら側だけでなく、岐阜県側でも祀られていて、岐阜県不破郡垂井町岩手にも『伊富岐神社』があるようです。


神社のはじまりは不明ですが、最初は伊吹山山頂にあったようです。


本殿の左右に赤い鳥居を持つ境内社が一つずつありました。

右が権現神社(大山祇神)↓

左が秋葉神社(火産靈神)↓


伊夫岐神社の御祭神は伊吹山の神である伊吹大明神です。

伊吹大明神は、ヤマトタケルノミコトを死においやる原因となった神さまです。

「伊吹大明神」は、『古事記』では「牛のような大きな白猪」、『日本書紀』では「大蛇」とされています。

「ヤマトタケルノミコト」も、『古事記』では倭建命であり、『日本書紀』では日本武尊になっているようです。

◆ヤマトタケルノミコト

若干16歳にして九州に猛威を振るう熊襲を征伐した英雄で、あまりの強さに驚いた熊襲の頭目から「日本武尊」の名を授かったといいます。 

日本武尊は、九州の熊襲討伐に続いて、東国の蝦夷(アイヌ)討伐に向かうのですが、途中で立ち寄った伊勢神宮で、倭比売命から、かつて素盞鳴尊が天照大神に献上した草薙剣を授かり、この草薙剣を武器に、駿河の蝦夷を打ち倒し、海路で相模から上総に上陸。

さらに奥羽地方まで蝦夷を追い、次々と東国を平定して行ったといいます。 

蝦夷征伐の帰路、日本武尊は尾張で妻に草薙剣を預け、近江の悪神退治に向かうのですが、伊吹山で病にかかり、最後は白鳥に姿を変えて天に飛び立ったといわれています。

白鳥と化した日本武尊が最後に立ち寄ったとされ、主祭神としてお祀りしている大鳥大社(大阪府:式内社、官幣大社、和泉国一の宮)をはじめ、草薙剣を御神体とする熱田神宮(名古屋市:式内社、官幣大社)や氣比神宮(福井県:式内社、官幣大社、越前国一の宮)などにお祀りされています。

<転載終わり>


こちらより↓抜粋します
◆ヤマトタケルと伊吹山の神



ヤマトタケルは東国征伐を終えて尾張に戻っていました。

結婚の約束をしていたミヤズヒメと結婚をします。

喜びも束の間、伊吹の山に悪い神がいると聞き、今までの勝利の連続からおごりの心があったのでしょうか「素手でやっつけてやる」といい、神剣・草薙の剣をミヤズヒメに預け伊吹の山に征伐に向かいました。

 伊吹の山にやってくると、途中、牛ほどの大きな白い猪に出会いました。

「これは山の神の家来だな。帰り道で相手になってやろう」と大きな声で威嚇してやり過ごしました。 

すると突然、激しく雹(ひょう)が降り出し行く手をはばまれます。

実は白い猪は山の神の家来ではなく山の神そのものであり、ヤマトタケルが威嚇したため怒りを買ったのです。 

雹に打たれて体力を激しく消耗したヤマトタケルは、養老の地の野原を通るときには「今は歩くこともままならなず、足がたぎたぎと軋(きし)む」と嘆きます。

後にこの野原は多芸野(たぎの)と言われるようになりました。

さらに歩き続けたヤマトタケルは疲れて杖をついて歩いたのでそこを「杖つき坂」といい、またある村に着くと疲れた足が「三重に曲がり固い餅のようだ」と嘆いた事から「三重(みえ)」というようになりました。

ヤマトタケルはどんどん体調が悪くなり、大和への望郷の思いが募っていきます。 

そしてヤマトタケルは国しのびの歌を詠みます。

「大和(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣山隠(やまごも)れるやまとしうるはし」。

ついに愛した妻を懐かしみながら、力尽き倒れてしまいました。 

死の知らせを聞いた妻や子供たちは、伊勢の野褒野(のぼの=三重県鈴鹿郡)に駆け付けました。

 するとその御陵(墓)から白い大きな鳥が天空高く飛び立っていきました。

ヤマトタケルは白鳥となって恋しい国へ帰って行ったのです。 

その白鳥が飛んで留まった河内の国の志紀(しき)に御陵を作り、「白鳥(しらとり)の御陵(みささぎ)」と呼ぶようになりました。

<抜粋終わり>


『近畿五芒星』をコンプリするには、伊吹山の神様をお祀りしている神社をお参りせねばと「伊夫岐神社」を訪れたのでした。


伊吹大明神さまは、すごいパワーのある神様なのですね。

しかし、日本百名山のひとつにもなっている伊吹山は、左側が無惨にも削り取られているのです。



伊吹山の石灰岩は、古くは漆塗りの原材料に用いる消石灰として1661年ごろには開発されていたが、近代はコンクリート・セメント需要の急増により大量に採掘されてきた。

1949年に近江鉱業が伊吹山に弥高採鉱場を開き、1951年に住友大阪セメント伊吹工場が開発工事に着手するなど、大規模に採掘が進められ、南西の稜線は山容が変貌するまでに大きく削り取られた。



1971年からは住友大阪セメント伊吹工場によって南西斜面の緑化活動が始められ、2003年に同社が滋賀鉱産株式会社に事業を引き継いだ現在も続けられている。

鉱山としては現在も近江鉱業および滋賀鉱産が稼行している。

<抜粋終わり>

日本百名山にもなっている聖なる山を、人間の都合で削ってしまって良いのでしょうか。

日本武尊に威嚇した時のように、神の怒りに触れないようにしたいものです。

長くなってしまったので、世にも美しい十一面観世音菩薩さまと出会ったお話は次回にいたしますね。

続きます。。











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