続きです。
初島から戻った私たちが、次に目指すのは「伊豆山神社」でした。
伊豆山神社の名前は、ずいぶん前に船井幸雄さんが勧めていた時から気にはしていましたが、縁結びの神さまだから行かなくてもいいと思って一度も訪れた事はありませんでした。
でも今回は、伊豆山神社も白山神社も縁結びの神さまだから、ちいちいさんに良縁があるように行かなくちゃ、と考えていました。
ところがどっこい。伊豆山神社はすごい所だというのが分かりました。
まず、驚いたのは、想像してたよりも大きな神社だった事でした。踏み入れただけで心地よい感じが広がっていました。
伊豆山神社について、こちらから抜粋します。
http://aralagi.travel-way.net/jinja/izusan.html
伊豆山神社いずさんじんじゃ
当社は古来「伊豆大権現」「走湯大権現」又は「伊豆御宮」「走湯山」とも呼ばれていましたが、明治の神仏分離令により現在の社名に改称されました。
又、伊豆の地名の発祥地は当社であります。
社伝によると当社は最初、日金山(十国峠)に鎮まり、次いで本宮山に移り、さらに三遷して現在の地に御鎮座になりました。
源頼朝は平治の乱の後、平家の手により伊豆の蛭ヶ小島に配流の身となっていたが、源家再興のことを当社に祈願し、後に鎌倉に幕府を開くに及んで、篤く当社を崇敬しました。
社領四里四方、海上見渡す限りの外に、鎌倉、室町期を通して武州、相州、上州、豆州、駿州、越州に二十三カ所の社領を所有していたことが室町時代の文書「寺領知行地注文」に記されています。
大正3年1月13日、皇太子であられた 昭和天皇御参拝の折、若松一株をお手植え賜り、現在緑の葉も繁く栄えております。
なお、当社は明治以前においては神仏習合が盛んに行われた社で、役小角をはじめ 弘法大師、多くの山岳仏教徒や修験者が入峰して修行を積んだ霊場となっています。
後白河法皇の御撰による梁塵秘抄に「四方の霊験所は、伊豆の走り湯(伊豆山神社を指す)信濃の戸隠、駿河の富士山、伯耆の大山」と著され、ここは東国 東海における第一の霊場として聞こえていたことがしられます。
ご祭神は「火牟須比命(ほのむすひのみこと)」と「イザナギノミコト・イザナミノミコト」を「伊豆山神」と総称して祀っています。
また、伊豆山神社は源頼朝との関係が深い神社としても知られています。
頼朝は伊豆・蛭ヶ小島に流罪となって以来、別当密権院の院主、阿闍梨覚淵に師事して当社を深く尊崇したといいます。
流人頼朝と娘政子の恋仲を知った北条時政は、平家全盛の時代に北条家の命取りともなる事態を恐れ、政子を山木判官兼隆に嫁がせようとしました。
しかし政子は婚礼の宴席をそっと抜け出し、日金七里の山路を越えて伊豆へ逃れ、伊豆山にいた頼朝と劇的な再会を果たします。
頼朝と政子の密会の場所も当社であったと言われており、境内には二人が恋を語った「腰掛け石」が残されています。
やがて平家を打倒した頼朝は文治4年正月、伊豆山・箱根・三嶋の三社に参詣し、以来この三社への奉幣と参詣は「二所詣で」と称して幕府の恒例行事となりました。
<抜粋終わり>
手水舎には紅白の龍さんがいました。赤い龍さんが、伊勢海老に見えてしまうのは私だけ?
赤龍は火、白龍は水の力をつかさどり、二龍の力を合わせて温泉を生み出していると云われ、最強の守護神になっています。
ここ伊豆山の地下には、赤白二龍が絡み合いながら守護しており、頭は伊豆山に、尾は箱根の芦ノ湖の地底にあるそうです。
神さまが降りたったと云われる「光石」に座るトムさんとちいちいさん。
神様の愛を受けて、光のパワーを沢山いただけるそうです。良いことがたくさんありますように。
境内は結構広いんですよ。
ここまでは、いつもの神社参拝と変わりませんでしたが、資料館の方のお話を聞いた事から、よくはわからないけど、私の中の何かが目覚めた感じなのです。
それは、本当に不思議な感覚なんですけどね。
ブログを書いている途中で、寝落ちしてしまい、気づいたら朝になっておりました。。。
続きはまた明日。