昨日からの続きです。
ハトシェプスト女王葬祭殿⬇︎
ハトシェプスト女王⬇︎
ハトホル女神の柱⬇︎
牛の姿のハトホルから乳を飲むハトシェプスト⬇︎
三階へ⬇︎
ハトシェプストのオシリス柱⬇︎
エジプト初の女性ファラオ・ハトシェプストの重要な事業の一つに数えられるのがプントへの遠征でした。
プントは現在のエチオピアやソマリアの辺りと考えられ、ルクソールからは約2000キロも離れている場所でした。
プントは「黄金の国」、またはハトホル神の住む「神の国」とも呼ばれていたようです。
葬祭殿には戦争に関するレリーフは全くなく、ハトシェプスト女王は平和を重んじ、プントからは、乳香・黒檀・象牙・金・化粧用顔料・銀・食塩・ダチョウの羽や卵などを輸入していたようです。
国民にとって、ハトシェプスト女王は平和で豊かな繁栄をもたらす偉大なファラオだったのでしょう。
ところが、ハトシェプスト女王の死後、彼女の像が破壊され、彼女のレリーフがあちこちで削られている事が分かりました。
削ったのは一体誰なのでしょう。
先日放送された「古代エジプト 3人の女王のミステリー」から検証してみましょう。
〈男装の女王の姿を削った犯人は誰だ!〉
◆犯人説 その1 トトメス3世
ハトシェプストは、夫のトトメス2世の死後、即位した幼い義理の息子トトメス3世と共同統治していました。
しかし、トトメス3世が成人した後もハトシェプストが実権を握ったままだったので、強い恨みを持っていたのではないかと言われています。
◆犯人説 その2 側近センムト
センムトは、ハトシェプスト女王葬祭殿の設計・建築を手がけた人物です。
古代エジプト史上五大賢人の一人に数えられるほど優秀であった彼は、ハトシェプストの王女・ネフェルラーの家庭教師となってから才能を発揮し、その出自からは想像出来ぬほど出世しました。
トトメス二世時代から彼女とは親密であり、ハトシェプストにとって重重な人物、愛人関係にあったと言われています。
また、ハトシェプスト女王葬祭殿の隣接する場所に、センムトのお墓があるのですが、そこから長い廊下が女王葬祭殿の中央部にまでつながっているという事です。
彼の玄室には、エジプト最古とも言われる天体図と共に、ハトシェプストから与えられた80にも及ぶ肩書き、そして、ハトシェプストに対する秘めた思いを永遠に賛美する描写や記述が書かれています。
ところが、彼女が42歳の時にセンムトは失脚させられているのです。
葬祭殿の壁にセンムトより前にパネヘシというライバルが出現した事が描かれています。
ハトシェプストの愛が、センムトからパネヘシに移ってしまった為、センムトは憎悪から彼女の像を削り取ったのではないかと推測されました。
◆犯人説 その3 トトメス3世 最新説
再び、トトメス3世です。
最新の調査で、レリーフが削られたのはハトシェプスト女王の死後20年が経ってからだと判明したのです。
もしも、恨みから削るのであれば、死後すぐに実行に移すでしょう。
なので、恨みではなく後継者争いのためではないかと言われるようになりました。
ハトシェプストにも娘がおり、トトメス3世の息子をファラオにする為に、ハトシェプストの存在を消したかったのではないか、と。
ハトシェプスト女王の偉業が、まだ人々の記憶に残っている時代だったので、次のファラオに同じように女性がなってもらっては困るという意図があったようです。
ファラオは「ホルスの息子」、女性にはファラオになる資格はないと、強く示したかったとも思われます。
実際、トトメス3世の息子が無事即位した後は、ハトシェプストの姿が削られることはなくなったそうです。
<まとめ終わり>
こうみると、削った犯人はトトメス3世説が1番濃厚ですが、3500年前に戻ってみないと真実は分からないです。
ところが、『トトメス3世にはハトシェプストを恨むもうひとつの理由があった』事を告げる人物がいたのです。
それは誰?そしてどんな内容でしょうか?
歴史に隠された驚きの新証言です!
次回に続きます。