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レアな風景 エジプト・ハトシェプスト女王葬祭殿

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前回からだいぶ日が過ぎてしまいましたが、そろそろエジプト訪問記を再開させて頂こうと思います。

前回、どこまでお話しましたっけ?

そうそう、デンデラの「ハトホル神殿」まででしたっけね。

★古代の天体図とクレオパトラ

ようやく、ここからはエジプト滞在5日目となります。(1月20日)

早朝4時に起床し、ルクソールのホテルを5時20分に出発して、まずは渡し船に乗ってナイル川の対岸に渡りました。

バスだと橋まで遠回りしなければならず、1時間半もかかるそうで、船で渡れば、かなりの時間短縮なんです。

急がなければならない理由がありました。

途中、「メムノンの巨像」などを横目に見ながら、ようやく「ハトシェプスト女王葬祭殿」に到着です。

photo:01


ハトシェプスト女王葬祭殿は、紀元前1500年頃、エジプトで最初の女王となったハトシェプストのための葬祭殿です。

photo:05


ハトシェプスト女王の側近で建築家、そして愛人のセンムトが設計・建築を行ったと言われています。

photo:06


ハトシェプストはトトメス1世の娘でトトメス2世の妃ですが、トトメス2世の死後、即位した幼い義理の息子トトメス3世の摂政となり実権を握ります。

photo:07


彼女は、ファラオとしての公式の場では、あごひげを付け男性の衣服を身に付けていたそうです。

カイロ考古学博物館の彼女の像⬇︎
photo:03

photo:04


エジプトで初めての女性ファラオですから、威厳を示したかったのでしょう。

photo:08


ハトシェプスト女王葬祭殿は、「王家の谷」のすぐ東側の断崖を背に建てられています。

上空より。山の向こうは王家の谷⬇︎
photo:02


後に、コプト教の教会として使われていた事もあり、デル・エル・バハリ(アラビア語で「北の修道院」の意味)とも呼ばれています。

実は、1997年11月、ルクソール事件の悲しい現場となった所でもあります。

photo:09


葬祭殿の入り口には、貿易をしていたプント国(現在のソマリア)から持ち帰った木を植えていた跡がありました。

3500年前の木の根だそうです。

photo:10


葬祭殿の発掘当初は廃墟となっていましたが、1961年以降徐々に復元されたそうです。

ここは、葬祭殿と言うよりむしろ「王の礼拝神殿」や「記念の神殿」という意味合いの方が正しいとの事です。

photo:11


葬祭殿は、三層のテラスになっており、まずは二階に登って行きました。

photo:12


葬祭殿は、ライトアップされていて、とても幻想的な雰囲氣を醸し出していました。

photo:13


ところが、6時20分にパッといきなりライトが消えたのです。

何か、いきなり現世界に引き戻された感がありました。

とても同じ葬祭殿とは思えないでしょ?

ネット検索しても、ライトアップされている葬祭殿の画像は私たちのツアー仲間の写真以外ほとんど見当たりませんでした。

だから、この画像たちは凄くレアなんですよ。

ライトアップされている時間に訪れる事が出来たので、4時起きした甲斐がありました。


今日はこの辺りで。。

次回は、「何故、ハトシェプスト女王のレリーフは削られたのか」その謎を紐解いて行きたいと思います。

お楽しみに。。

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