昨日からの続きです。
古代遺跡「オシレイオン」の横を通り抜けて、私たちは「ラムセス2世神殿」に向かいました。
オシレイオンから歩いて10分ほどの道には、なんと!大昔の土器がいっぱい落ちていました!
カケラを持ち去ってはいけないけれども、踏むのはいいんだそうです。
え?まじ?(汗)
日本で言ったら「縄文土器」の上を私たちはズカズカ歩いている事になります。
ひぇ〜〜!
だけど、よけて歩けないほどの多さなんです。
エジプトはスケールが違い過ぎます。。
ラムセス2世神殿が見えて来ました。
全体図⬇︎
入り口の鍵を開けてもらいます。
セティ1世の息子ラムセス2世がオシリス神を祀るために建造したとされています。
建物はだいぶ崩壊していましたが、壁面のレリーフはきれいです。
質の良い石灰岩が使用されている為、屋根がないのにレリーフには色がよく残り鮮やかでした。
ラムセス2世の時代には、どれだけ美しい建物だったんでしょうね。
右から、ネフティス イシス オシリス (顔が分からないけどハトホル?女性の感じ)の4人の像⬇︎
その後、ツアー会社が手配してくれた車に乗り込み10分ほど走りました。
着いた所は、エジプト第1王朝が始まる前の6500年前の石レンガの城塞がある場所でした。
ここの辺りから、カイロ考古学博物館に展示されていたクフ王のちっこい像が発掘されたそうです。
こんな昔のものがよく残っていますね。やはり雨が降らないからでしょうか。
それから、このあたりでは最も古いオシリス神殿や世界で一番古い印鑑も見つかっています。
エジプトは今は印鑑は使わず、サインなんだそうです。
そして、そこから少し歩いた所に紀元前2700年頃にエジプトを統治した第2王朝のカムケムイ王の葬祭殿がありました。
階段状ピラミッドのコンセプトはここで生まれたんだそうです。
シュネト・エル・ゼビブと呼ばれるこの地では、計14艘の木造船が見つかっています。
しかし、15〜18mのこの船は取り出せずに埋まったままになっています。
ファラオの魂を運ぶためのものでしょうか。
ナイル川から12キロも離れた内陸で、世界最古の船が発見されるとは面白いことです。
1200体ものトト神のミイラもこちらで見つかっているそうです。
そして、その近くに「オンムセティ」のお墓がありました。
息子にセティと名前をつけた事から、『セティのお母さん=オンム・セティ』と呼ばれるようになったのは、「ドロシー・イーディー」という女性でした。
彼女は、3歳の時にロンドンの自宅の階段から転落し、意識不明状態に陥り、医師から「死亡」と診断されました。
しかし彼女はすぐに息を吹き返し、この時からドロシーは毎晩同じ夢を見るようになったのです。
そしてドロシーは、夢の中に出てくる世界が自分の故郷であると主張するようになりました。
成長するにつれて、段々と分かったのは、彼女の前世はアビドスのセティ神殿の巫女を務めていたこと。
そして、セティ1世に見初められて子供を身ごもった事。
神に仕える巫女という立場から、セティとの関係に悩み自害した事でした。
ここまでは、よくあることです。
しかし、前世を思い出した一般の人と大きく違うのは、現世に生まれ変わった自分の元にセティ1世が3千年の時を超えて半霊半物質の状態で現れるようになった事でした。
セティ1世は、彼女が自害したことをとても悲しみ、ずっと彼女を探していたのです。
こうした彼女に大変興味を持ったのが2011年⬇︎
★生まれ変わり
それから本も買いました。
★転生者オンム・セティと古代エジプトの謎―3000年前の記憶をもった考古学者がいた
ところが、買ったのにほとんど読んでいませんでした。
けれど、エジプトから帰って来てから読んだら面白いのなんの。
ファラオや地名や神殿などが、スルスルと頭に入って来るので、すごく分かりやすかったです。
考古学者が誰も知らないような内容をセティ1世が教えてくれる所が、たまらなく興味をそそられます。
オンムセティのお墓に訪れるツアーなんて、他には絶対ないでしょう。
このマニアックさにとても感動しました。
『シュネト・エル・ゼビブの数百m東にある村で、とても貧しい夫婦の間に生まれたのが私だったのよ』と過去世を振り返ってオンムセティは答えています。
だから、この地に眠っているのでしょうね。
オンムセティは今頃、セティ1世とあの世で仲良く暮らしているでしょうか。
アビドスに来られて本当に良かったです。
全てに感謝。。