25日は、またまた浜松へ行く事になりました。
というのは、以前に私が作ったキャンドルが当たったうふふさんに、キャンドルを手渡しに行くのです!
うふふさんは、静岡の方なので、てっきりその辺りでお会いするものと思っていたのですが、私に「水窪石」なるものを見せたいが為に、浜松のハロさんという方にガイドをお願いして下さっていました。
misaクボ石?
いつも、下調べを何もせず、ブログを書く時になって初めて調べる私。
なので、水窪石が何処にあるのかも知らず、蓋を開けたら浜松だった。。というわけです。
一週間のうち3日も浜松を回るとは!
また浜松駅で待ち合わせし、ハロさんの車に乗り込みました。
ハロさんも、私の読者さまだという事で「青たまブレス」もつけて来て下さってました。
ありがとうございます♡
向かうは、浜松駅から2時間も離れたお蕎麦屋さんだそうで。。
くねくね山道もお手のもんなハロさんでした。
着いた〜!
そこは、中央構造線の真上にある佐久間という場所でした。
5月に行った大鹿村と同じライン上ではないですか。
断層の破砕帯が露わになっていました。
ところがです。お蕎麦が食べられる「民族文化伝承館」に行くと、「本日休館日」!!
土日祝日しかやっていないそうな。。
ガーン(T_T) 私たち、何の為に遥々来たのか。。
ところが、奇跡が起きたのです!!
何処から来たかとおじさまに尋ねられ「富士から来ました!」と言うと、「前に富士山の写真展をやって富士の方にはお世話になってるからなぁ。ちょっと待ってて。」と奥に入って行きました。
ちょうどその日は、静岡東部の方々が研修に来られるとかで、平日だけど特別にお店が開いており、3人分なら何とかして下さる事になりました。
き、キ、奇跡だーーー!ありがとうございます!!
北条(ほうじ)峠の頂に建てられた伝承館は、江戸時代末期に建てられた農家住宅を移築したものだそうです。
大豆と米を混ぜてつくられた「とじくり」と呼ばれる甘いものがこちらの名物のようです。(右上)
私たちが、お蕎麦を頂いていると、東部の方々がやって来られました。
彼女らの到着時間に合わせて仕込みをしていたようで、その日、私の乗る東海道線が何故だか遅れていて、待ち合わせ時間がずれ込んだのも、結果的に吉と出ました。
ちょうど、やまんばの会の方がされる民話「やまんば物語」も、一緒に聴かせて頂けたのです。
中央構造線の上で頂いたお蕎麦、美味しかったです。ありがとうございました!
そして、お次はうふふさんが氣になっていると言う「水窪石」を観に行くのですが、私はそれが何だかも分からず。。
巨石?磐座?と思っていました。。
あらら、ここは「水窪町民族資料館」よ?
この中にあるの?
てか、ここもお休みじゃん!!
週の後半しか開いていないようです。
なので、3人でドアからのぞいてみました。
何やら石らしき物が見えました。
ネットで調べたらこういう石のようです⬇︎
なんか、文字らしきものがっ!
この石は、昭和35年8月に奥領家にすむ田中博さんが家の近くの坂道を掘り起こしたところ、出てきたものらしいです。
大きさは長さ約34㎝、幅約12〜20㎝、高さ約10㎝、重さ7㎏の砂岩で、縄文時代のものとされています。
昭和44年の読売新聞に、『紀元前600年頃と推定される文字が刻まれた石が発見された』と報じられ、『解読の結果「バルーツ(女神)ガシヤン(男神)に奉る」と書かれていることが判明した。』とあったそうです。
バール神・ミトラ・スサノオとも関係があるようです。
間近では見られなかったけど、3mくらいの場所まで接近出来たから良しとしましょう。
民族資料館を訪れる時は、開館日を調べて行くといいですよ。
この後もたくさんの神社を回りましたが、とても一回では書けそうもありませんね。
という事で、続きます。。