北海道の旅から無事帰って来ました。今日はかなり遅い更新でお許し下さい。
たんちょう釧路空港前にて 〈シマフクロウ〉
さて、阿寒湖の宿で、夜にアイヌの方からお話を聞く事が出来ました。
何処から来たのかと尋ねられ、「静岡から」と答えると、なぜだか源義経のお話をして下さいました。
長野の大鹿歌舞伎では頼朝さんが出て来たし、今度は弟の方ですか!
でも、アイヌと義経とは深い繋がりがあったのです。
義経がチンギスハンになったという伝説の真偽は分かりませんが、義経が生き延びてアイヌの方々と北海道で暮らしていたという伝説は私も信じていたいです。
義経は、兄の頼朝と不和になり奥州・平泉の藤原秀衡を頼って東北へ逃れますが、秀衡の死後、頼朝の命を受けた秀衡の息子・泰衡に急襲され、31歳の若さで衣川で自刃した事に歴史上なっています。
ところが、義経は亡くなってはおらず、首が届けられたのは影武者の物だと言われているのです。
宮城県栗原郡金成町には杉目太郎行信の墓があり、 「源祖義経神霊見替」と刻んであるそうです。
行信は義経の母方のいとこで、年や背格好が義経と似ていたため、昔から杉目太郎行信が義経の身代わりになって死んだとされています。
さらに、首実検のため鎌倉まで送られるのに、通常14日のところ43日もかかっているんだそうです。
その為、義経を殺害した藤原泰衡が義経を逃れさせようと故意に時間稼ぎをしたか、首が誰のものか判別させなくする為だと推測されています。
興味深いのは、平泉から北に向かう道のりに義経の足跡があちこち残っている事です。
そして、青森に残る「新撰陸奥国誌」には、義経は青森から西蝦夷(北海道の日本海側)に渡った事が書かれているとの事。
そして、北海道での義経の110ヶ所にものぼる痕跡をみると、義経はアイヌの集落を訪ね歩いていた事が分かりました。
宿でのアイヌの方のお話では、弁慶はアイヌ民族だったのではないかと仰っていました。
また、奥州藤原氏とアイヌは以前から交流があり物々交換をしていたとの記述が残っています。
そう言えば、アイヌコタンの方が首飾りに使うガラス玉などは倭人からもらっていたと話していました。
やがて、いつの間にか義経は、アイヌの神さま「オキクルミカムイ」になっていました。
江戸時代の儒学者新井白石が、著書『蝦夷志』でアイヌ民族がこのオキクルミを源義経であるといい伝えていると記しています。
オキクルミカムイとは、アイヌ民族の口承文芸「カムイ・ユーカラ」(神謡)に登場する国土創造の神の事です。
新しい国土の主として人間界(北海道沙流郡平取町)に降りたといわれています。
アイヌの人々は、文字を持ちません。
ユーカラに代表されるように、家族が火のそばに集まり、壮大なる叙事詩やお話をして自分たちの伝統を伝えるとともに、これを娯楽としてきたのです。
そのユーカラの伝承では、オキクルミカムイが魔神を撃退し持参した稗(ひえ)での耕作を教え、大船の造り方や角鮫捕りの銛(もり)・ヤスの用法、狩猟の際の毒矢や仕掛弓などを教えるとともに、木幣(イナウ)を削って神を崇めることなど神事を教えたとされています。
しかし、次第にアイヌ民族がオキクルミの徳にそむくようになったため、島から隣国へ去って行ったとなっています。
義経がチンギスハンになったという説は、シーボルトが最初に論文を発表したようです。
北海道の平取町には「義経神社」があります。
1798年に幕命を受けて蝦夷地探検にやってきた近藤重蔵が、アイヌがオキクルミカムイを崇拝し、かつ義経公を崇敬しているのを知り、両者は同一人物だとして神社を建てたようです。
アイヌの人々が神社を作るということはありません。
函館博物館には1775年に奉納された《アイヌ風俗絵馬》があるそうです。
道内にのこる絵馬の中ではかなり古い年代のものだとか。
画面左には、笹竜胆の紋がついた甲冑姿の源義経がいます。
義経は、鍬形と龍の頭がついた兜がトレードマークになっています。
画面右側に描かれているのはアイヌの男女です。
絵馬に強い武者を描いて奉納するという慣習は古くからあり、病魔を追い払って欲しいという強い願いが込められているのでしょう。
(こちらより抜粋)
このように源義経という人物は日本史上極めて人気が高く、その人気故数々の事実と確認されない逸話伝説が生まれ、否定されながらも東北・北海道では今も「義経北行説」を信じる者が根強く存在しているようです。
こちらの番組では、義経は頼朝討伐の執念に燃え、アイヌと手を組んだとありますが、アイヌは必要に迫られての戦術は取りますが、自ら敵陣に攻め入ることはしない民族のような氣がします。
沖縄の国を作ったのも源氏で、北海道と沖縄の両国から源頼朝は狙われていたとの事。
しかも、頼朝は北条政子の父親から暗殺されたとも言われています。
北条家は元をたどると「平家」なのです。
こんなにもあちこちから命を狙われていた旦那さま。。
政子の氣持ちはどんなだったのでしょうか。
お話がアイヌから逸れてしまいましたが、教科書では絶対教えてもらえない歴史を知るのは興味深いことですね。
北海道の旅で、偶然にも触れる事になったお話なのでした。