1月1日に能登半島地震が発生してから、日本列島の地殻変動に大きな変化が出ています。
国土地理院が公開している日本列島の地殻変動データベースによると、能登半島地震前まで西日本の地殻は隆起し、東日本の地殻は沈み込みが強かったのですが、大地震後にこの地殻変動が真逆に変化。
東日本では下がっていた地殻が一転して隆起中で、西日本も反対方向に動き出している傾向が強まっています。
都道府県別だと大きな変化が見られない地域もありますが、日本列島全体で能登半島地震後にパワーバランスが変化している印象が強いです。
東日本大震災前にも地殻の地滑り現象の報告があることから、このような大きな地殻変動は次の大地震に向けた下準備である可能性が高いと言えます。
西日本から中部地方が北東方面に動いているとの報告も氣になる点で、能登半島地震によって日本列島の中心部に大きな負荷が発生し、それによって新たな地殻変動が起きていると推測できるところです。
次の大地震はいつになるのか分かりませんが、少なくとも日本列島はまた別の巨大地震に向けて動き出しているのは間違いありません。
<転載終わり>
今回の地震をきっかけに、日本列島が大きく動き出してしまったようです💦
原発は絶対に稼働させてはいけません!
アマゾンにはマヤよりも大きな古代文明が存在していた!
樹木が生い茂るアマゾンのジャングルの中に、約2500年前の古代の大都市がひっそりと隠されていた。
この都市はマヤよりも大きく、アマゾンに住む人々の歴史に関して、これまでわたしたちが知っていることを覆すほどの発見だ。
南米エクアドル東部、ウパノ地域で発見されたその古代都市は少なくとも1000年続いたとみられており、住居や広場は、道路や水路でつながった驚くべきネットワークを構築していた。
この地域は豊かな土壌を育む火山のふもとにあるが、コミュニティを破壊してしまうほどの災害もあったことだろう。
🔳2500年前に存在したマヤよりも巨大な都市をアマゾンで発見
南米ペルーのマチュピチュのような高地の都市についてはよく知られているが、アマゾンの人々は皆、遊牧生活をしているか、小さな集落にこじんまりと暮らしていたと考えられていた。
ところが今回発見された都市はとても大きく、道路や水路が整備されており、驚くべきネットワークを形成していたのだ。
これはアマゾンでこれまで知られていたどの遺跡よりも古いものです。
わたしたちは文明に関してヨーロッパ中心の見方をする傾向にありますが、この発見は、文化や文明とはなにかということについての知識を一変させてしまうようなものです。
フランス国立科学研究所の調査責任者であるステファン・ロスタン教授は言う。
研究報告書の共著者であるアントワーヌ・ドリソン博士もこう述べている。
わたしたちのアマゾン文化に対する見方を変えるような発見です。
たいていの人は、アマゾンでは裸の人間の少人数グループが、土地を切り開きながら掘っ建て小屋で暮らしていた姿を思い描くかもしれません。
ですがここにあったのは、複雑に発達した都市社会に住んでいた古代人たちの姿なのです。
見つかったこの都市は、およそ2500年前に造られ、人々はここに1000年間ほど住んでいたと推測されている。
特定の時期にどれくらいの人々が住んでいたかを正確に推定するのは難しいが、十万単位とはいかなくても、数万人は確実にこの都市に住んでいただろうという。
🔳LIDAR技術によって明らかになる古代の驚くべき都市ネットワーク
研究者は、地上での発掘調査だけでなく、飛行機からのレーザー光を使ったセンサーを活用して、300平方kmの範囲を測定し、深い森の木々の下に埋もれた都市の痕跡を特定した。
レーザー光を使って対象物までの距離や位置、形状を測定するLIDAR(ライダー)技術の発達のおかげで、ここ最近、知られざる古代遺跡が次々と発見されている。
今回もLIDAR技術によって、長さ20m、横10m、高さ2~3mの長方形の高台が6000も見つかった。
中心となる高台がある広場の周囲を囲むように、これら高台が3~6個集まって配置されていた。
研究者は、多くは住居として使われ、一部は儀式用だったのではないかと考えている。
キラモペで発見された都市には、縦140メートル、横40メートルもの大きな高台があった。
丘を切り崩して、その上に土を盛って高台が造られたようだ。
広大な範囲に人が住んでいたことがうかがえる。
これらたくさんの高台は、まっすぐな道路や小道でつながっていて、中には全長25kmにもなる道もあった。
こうした道路網の調査がもっとも衝撃的だったとドリソン博士は言う。
とても高度に洗練された道で、広範囲に張り巡らされていて、かなり遠くまでつながっています。
驚いたのはこれらが正しい角度で造られていたことです
まっすぐな道を造るのは、地形に沿った道を造るのよりも遥かに難しいのだと博士は説明する。
これら道の中には、儀式や信仰といった強力な意味がこめられたものもあったようだ。
さらに、両側に溝がついた土手道については、この地域の豊富な水を管理するための水路だったのではないかと、専門家は考えている。
🔳過去に災害にあった形跡も
また、この都市が危機にさらさられていたらしい痕跡も見受けられた。
一部の溝は集落の入口をブロックするように造られていて、これは火山のふもとに住む人々がなんらかの脅威を感じていた証拠ではないかという。
この都市の痕跡は1970年代に初めて発見されたが、今回は25年にわたる研究の末、初めて完結した包括的な調査ということになる。
本調査により、アマゾンに大規模で複雑な社会があったことが明らかになった。
これは、メキシコや中米のよく知られたマヤ社会よりもずっと大きな都市だったようだ。
マヤのような文明が新たに見つかり、それがまったく異なる建築物や土地の利用の仕方、陶器を造っていたと想像してみてください。
英エクスター大学のホセ・イリアルテ考古学教授は語る。
八角形や長方形をした高台が並んでいるものもいくつか見つかっていて、南米にしては珍しい遺物だ。
集落間には、掘ったような長い道があったため、このコミュニティが高度に組織化され、互いにつながっていたことがわかるという。
🔳ここに住んでいた人々の社会や暮らしについてはまだ未解明
だが、ここに住んでいた人たちや彼らの社会については、あまりわかっていない。
高台からは、穴や炉、壺、植物をすりつぶす石、焦げた種子などが発見されている。
キラモペとウパノに住んでいた人たちはおそらく、農業中心の生活だったのだろう。
彼らはトウモロコシやサツマイモを食べ、ビールに似た甘いチチャを飲んでいたと考えられる。
ロスタン教授がここの調査を始めた当初、だいぶ脅かされたという。
当時、専門家たちはアマゾンの古代人が大規模集団を築いて暮らしていたはずはないと考えていたためだった。
でも、わたしは非常に頑固者だったので、調査を続行しました。
その結果、このような大発見につながり、今となっては十分に満足しています。
次のステップは、これまでの調査地域に隣り合う300平方kmの未調査地域になにがあるのかを探ることだという。