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北海道への旅15 義経の悲恋伝説

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普段夢をみない(覚えていない)私が、昨日、樋口元裁判長さんの夢をみました。


そしたら、朝、樋口さんの映画を作った小原監督の記事が出ていました↓




北海道への旅15 羊蹄山〜神威岬


5月22日、北海道7泊8日の旅も、とうとう8日目の最終日となりました。


ニセコの素敵なホテルともお別れです。


天井から吊るされているのは、ジャガイモ?


前日は見れなかった羊蹄山ですが、この日はうっすらと姿を確認出来ました。


もっと晴れていたら、めっちゃ絵になっただろうな〜💦




そして、ニセコを後にして最終日に向かった場所は、積丹半島。



神威岬↓


積丹半島の突端にあるのが『神威(かむい)岬』。


「カムイ」とは、アイヌの人々の言葉で神を表します。


80メートルの海蝕崖が日本海に向かって伸びています。


かつて神威岬は女人禁制の場所でした。神威岬には、この歴史を表す門が残っています↓


今は、女の人も岬の先まで行けますが、徒歩で往復40分かかる為、帰りの飛行機に間に合わなくなると困るのでここでやめておきました。



あの灯台の所まで行けます↓


めっちゃ快晴だと、この辺りはしゃこたんブルーと言われる海の色が見える場所でもあります。


ネットから画像をお借りしました↓




またいつか、リベンジしたいなぁ💦


私たちは、半島の先端にある神威岩を見るために、『神威岬展望台』まで歩きました。



お〜!見えて来ました!!


神威岬沖は海難事故につながる暗礁が多く、「魔の海」とも呼ばれ、海上交通における『日本海最大の難所』として知られていました。


そのため、岬の先の『人の形をした巨岩』を神と呼び、ささげものをして通過していたと言われています。



『積丹町史』によると、和人女性を載せた船が神威岬沖を通れば海神の怒りを招き船が遭難し、漁業も不振となると伝承され、江戸時代に蝦夷地(北海道)を支配する松前藩は1691年から、神威岬より奥への和人女性の立ち入りを禁止していたのでした。



そんな女人禁制の神威岬には、いつしかこんな伝説が生まれました。


歴史上は、平泉で自害したとされる源義経ですが、実は生き延びて北へ逃れ、津軽から蝦夷地(北海道)に渡ったという説があります。


日高地方のアイヌの長の許に身を寄せた源義経は、その長の娘であるチャレンカと恋に落ちました。


(確かに日高には義経神社があるんですよね)↓


しかし義経が生きていることを知った源頼朝の追手は、執拗に義経に追い迫ってきます。


そこで義経はチャレンカに黙って、再び逃走の旅に出て行きました。


(義経のあくなき野望説もあり)


チャレンカは義経が去ったことに氣付き、その後を夢中で追いかけます。


そしてようやく積丹半島の神威岬にまでたどり着くと、義経一行の船はそこから旅立った後で、沖の彼方へ遠ざかり、船影は小さくなり見えなくなってしまいました。


義経を失った悲しみにチャレンカは泣き崩れ、神威岬の突端から身を投げました。


すると、その身体は石に変わり、『神威岩』となったと言われています。


以来、その周辺に女性を乗せた船が近づくと必ず転覆したことから、明治時代初期まで神威岬は女人禁制の地になったのだそうです。


義経=チンギスハン説


この地からモンゴルに行ったとすると、方角的に合っています。


あながち、伝説ではなかったりして。。



神威岩が見れて良かったです。



そして、また次の場所に向かうのでした。




最終日8日目後半に続きます。。






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