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出羽三山参り エピローグ

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富士の写真館さんより













 TODAY'S
 
8日は皆既月食!









出羽三山参り エピローグ


羽黒山・月山・湯殿山の出羽三山詣でも最終日となりました。


『湯殿山参籠所』での朝食の精進料理↓


夜中は、ものすごい暴風雨でしたが、宿を出る頃には雨もおさまって来ていました。


昨日のうちに湯殿山の参拝を終えていて大正解でした。


途中の『道の駅にしかわ』での幻想的な風景↓


道の駅に『水沢温泉館』があったので、寄って行きました。なんと300円!


旅の終着点の山形駅の近くに、その日私が一番訪れたい場所がありました。


みなさんは、戊辰戦争の折、山形を戦火の災いから救った人物がいたことをご存知ですか?


日本海側にある府県で、海側に県庁所在地がないのは京都府を除き山形県のみなのです。


ここからのお話は、山形が県庁所在地となった、その理由になるのかも知れません。


幕末の山形藩は大変厳しい状況に直面していました。


戊辰戦争直前の慶応4年、藩主水野忠弘と父の忠精は京へ上りましたが、そのまま事実上の軟禁状態となり、藩主父子が不在という異常事態になります。


その際、山形藩の指揮をとったのが一族で首席家老の水野元宣でした。


なんと、20代半ばで藩の行く末を一身に背負ってしまったのです。


はじめは優勢でもあった同盟軍でしたが、離脱した各藩が次々新政府軍に降参していき、山形藩も降参します。


戦争後、新政府から反逆首謀者を問われた際に、元宣は「山形藩の責任はすべて自分ひとりにあり、他の者には寛容の御処置を」との嘆願書を提出し、他に犠牲者を出さないように努力したのです。


その結果、元宣が戊辰戦争に際して官軍に反抗した首謀者として罪人となりました。


同盟に加担した罪を背負って明治2年5月20日夕刻に27歳の若さで七日町の長源寺において、ひとり斬首されました。


昼に宣告されて夕刻には刑に服されたのですから、家族にいとまをいう間もなく、切腹を許されない故に辞世の句も残せなかったそうです。


水野元宣無念の死を遂げた『長源寺』を訪れ、手を合わせてきました。





そして、『長源寺』からほど近い場所にある豊烈神社』にも行ってきました。


こちらには、水野元宣の銅像が立っているのです。



山形を救った水野元宣の塑像↓




水野元宣の塑像は、今年の3月にクラウドファンディングにより76年ぶりに修復されていました。



私がなぜ、この人物ゆかりの地に行きたかったのかと言うと、もしかしたら、元宣はパートナーの過去世だったかも知れないのです。


美瑚さんにみてもらった時に、彼は江戸時代の歴史に名前を残している武士で、その頃に起こった大きな戦争に出たまま帰らなかった人で、苗字に『水』がついている、と言われていたのです。



確証はありませんが、この話をした翌日、彼は首の下あたりが何度も何度も痛くなるという不思議な体験をしています。


出羽三山に行く直前に元宣のことを知り、長源寺と豊烈神社の場所を調べたら、なんと、山形駅のすぐ近くだったという偶然!!


75年もの長い間、像の修復はされて来なかったのに、私が訪れる今年になって像が生まれ変わっていた事。


偶然にしては出来過ぎているな、と。


そして、山形駅でアリエスタメーズのみんなと別れ、ひとり新幹線に乗るのでした。





山形駅を出てすぐに、目を引く風景がありました!



すごくキレイなピラミッドがあるではありませんかっ!


後で調べたら富神山というらしいです。


山の麓には富神明神社があり、その神社周辺はかつて環状列石(ストーンサークル)があったそうです。



山ではなく、本物のピラミッドかも知れませんね。


最後まで想い出に残る3日間でした。


東北は、あんまりご縁がないと思っていたのに、意外にもあるやん❣️


山形・出羽三山に行けて良かったです。


🟣プロローグ

🟣 ①羽黒山五重塔まで

🟣 ②羽黒山三神合祭殿

🟣 ③羽黒山 夜の参拝

🟣 ④羽黒山の朝

🟣 ⑤ハロと月山

🟣エピローグ

<出羽三山への旅報告終わり>









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