私が一番好きな話題にようやく着手出来ることになりました!
私がヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人シリーズ」の記事を最初にアップしていたのは2014年の頃でした。
シーズン1の「訪問者」のまとめで終わってしまっていました。
私はこのシリーズが大好きなのです。
また、頑張ってまとめますね。
今年は、マヤやペルーに行く予定なので、その関連から始めたいと思います。
再開第1号は、「ナスカの地上絵」
この地上絵は、ホントにどういう理由で描かれたのか未だに謎なのです。
以前にも何度か記事にしています。
★2009年11月の記事
★2014年1月の記事
★2014年1月の記事
これらの記事も交えて、ではさっそく始めていきます。
1927年、ナスカ一帯を調査していた考古学者トリビオ・メヒーア・ヘスペは、地上に刻まれた巨大な道路網のようなものを発見した。
数年後に、航空機が飛ぶようになって、この地に100個以上もの地上絵が次々と発見されることとなる。
ナスカ両渓谷にはさまれた平原地帯の長さ59キロ、幅1.6キロの範囲に、完全な直線で構成される図形が150個以上。
猿やハチドリなどの動物の姿が70個以上も描かれている。
あまりにも大きすぎるため、全体のデザインは空からしか把握できない。
最大の絵⬇︎は、全長約300m。
最も長い直線は15キロもある。
絵は地表を覆う酸化鉄の含まれた砂利を取り除くことで描かれている。
石灰質に富んだ下の土壌が、野ざらしになる事で強度が増し、風化を免れた。
ほとんど雨も降らず、風も吹かないナスカの地では、このように永遠に地上絵が残ることを古代人は知っていたのだろうか。
巨大な絵を描いた目的は何か。なぜ空からでないと見えない絵を描こうと思ったのか。
全長が9キロにも及ぶ長い三角形は、非常に精度が高く、地面を押し固めたかのように地表から60センチも低くなっている。
地上絵の発見後、その研究に生涯を捧げたのは、ドイツの考古学者マリア・ライヒェだった。
ライヒェの努力によって、地上絵が政府の開発や道路建設から守られた。
ナスカでは、いまだに新しい図形や線が発見され続けている。
インカ時代からの言い伝えによると、遠い昔に創造神ピラコチャが、ナスカの地上絵を描くよう命じたという。
ピラコチャは、アンデスの人々に知識を授けた神である。
この線は、滑走路のように見えるが、着陸する機体の重さを支える強度がないので滑走路ではないようである。
ナスカの地上絵は、初めて幾何学が適用されたケースだとも言われている。
この蜘蛛の絵は、足が一本だけ長く、オリオン座とシリウスを表しているとの説もある。
オリオン座とシリウスが重要視されていたエジプト文明など、他の文明との共通点か。
「宇宙飛行士」と呼ばれている絵は、宇宙人を描いたもの、宇宙人にナスカにまた来てもらう為の絵、など様々な説が言われている。
しかし、地表に描くのと違い、硬い丘の横腹に絵を描くのはいったいどのようにしたのだろう。
さらに、ドレスデン大学の調査チームが行った現地調査の結果、地上絵を形作る線の地下2mあまりの場所で磁場の変化が起きていることが確認された。
また、線の引かれた場所の電氣電動率は、8千倍も高い事が分かった。
地上絵のサルのしっぽの上をセスナで通ると、高度が100mくらいガクンと落ちるという。
しっぽの下にはものすごく重い何かが埋まっていると思われる。
地中にある何かが、地球外生命体をナスカに引き寄せていたのかも知れない。
また、ナスカ一帯の土壌は、硝酸の含有量がきわめて高いことがわかっている。
硝酸といえば、ロケット燃料に不可欠な物質である。
ナスカの地は、燃料補給や発電などで地球外生命体に利用されていたのだろうか。
発掘が出来ないため、全て憶測の域を出ない。
直線のいくつかは、まっすぐアンデス山脈を通り抜け、はるか遠く東に向かっている。
ナスカの地上絵の大きな十字架の横線を延長していくと、テオティワカンやアンコール・ワットにつながると言う。
ナスカの地上絵は、何百キロも離れた別の古代文明の遺跡とも関係があるようだ。
<続く>
私がヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人シリーズ」の記事を最初にアップしていたのは2014年の頃でした。
シーズン1の「訪問者」のまとめで終わってしまっていました。
私はこのシリーズが大好きなのです。
また、頑張ってまとめますね。
今年は、マヤやペルーに行く予定なので、その関連から始めたいと思います。
再開第1号は、「ナスカの地上絵」
この地上絵は、ホントにどういう理由で描かれたのか未だに謎なのです。
以前にも何度か記事にしています。
★2009年11月の記事
★2014年1月の記事
★2014年1月の記事
これらの記事も交えて、ではさっそく始めていきます。
1927年、ナスカ一帯を調査していた考古学者トリビオ・メヒーア・ヘスペは、地上に刻まれた巨大な道路網のようなものを発見した。
数年後に、航空機が飛ぶようになって、この地に100個以上もの地上絵が次々と発見されることとなる。
ナスカ両渓谷にはさまれた平原地帯の長さ59キロ、幅1.6キロの範囲に、完全な直線で構成される図形が150個以上。
猿やハチドリなどの動物の姿が70個以上も描かれている。
あまりにも大きすぎるため、全体のデザインは空からしか把握できない。
最大の絵⬇︎は、全長約300m。
最も長い直線は15キロもある。
絵は地表を覆う酸化鉄の含まれた砂利を取り除くことで描かれている。
石灰質に富んだ下の土壌が、野ざらしになる事で強度が増し、風化を免れた。
ほとんど雨も降らず、風も吹かないナスカの地では、このように永遠に地上絵が残ることを古代人は知っていたのだろうか。
巨大な絵を描いた目的は何か。なぜ空からでないと見えない絵を描こうと思ったのか。
全長が9キロにも及ぶ長い三角形は、非常に精度が高く、地面を押し固めたかのように地表から60センチも低くなっている。
地上絵の発見後、その研究に生涯を捧げたのは、ドイツの考古学者マリア・ライヒェだった。
ライヒェの努力によって、地上絵が政府の開発や道路建設から守られた。
ナスカでは、いまだに新しい図形や線が発見され続けている。
インカ時代からの言い伝えによると、遠い昔に創造神ピラコチャが、ナスカの地上絵を描くよう命じたという。
ピラコチャは、アンデスの人々に知識を授けた神である。
この線は、滑走路のように見えるが、着陸する機体の重さを支える強度がないので滑走路ではないようである。
ナスカの地上絵は、初めて幾何学が適用されたケースだとも言われている。
この蜘蛛の絵は、足が一本だけ長く、オリオン座とシリウスを表しているとの説もある。
オリオン座とシリウスが重要視されていたエジプト文明など、他の文明との共通点か。
「宇宙飛行士」と呼ばれている絵は、宇宙人を描いたもの、宇宙人にナスカにまた来てもらう為の絵、など様々な説が言われている。
しかし、地表に描くのと違い、硬い丘の横腹に絵を描くのはいったいどのようにしたのだろう。
さらに、ドレスデン大学の調査チームが行った現地調査の結果、地上絵を形作る線の地下2mあまりの場所で磁場の変化が起きていることが確認された。
また、線の引かれた場所の電氣電動率は、8千倍も高い事が分かった。
地上絵のサルのしっぽの上をセスナで通ると、高度が100mくらいガクンと落ちるという。
しっぽの下にはものすごく重い何かが埋まっていると思われる。
地中にある何かが、地球外生命体をナスカに引き寄せていたのかも知れない。
また、ナスカ一帯の土壌は、硝酸の含有量がきわめて高いことがわかっている。
硝酸といえば、ロケット燃料に不可欠な物質である。
ナスカの地は、燃料補給や発電などで地球外生命体に利用されていたのだろうか。
発掘が出来ないため、全て憶測の域を出ない。
直線のいくつかは、まっすぐアンデス山脈を通り抜け、はるか遠く東に向かっている。
ナスカの地上絵の大きな十字架の横線を延長していくと、テオティワカンやアンコール・ワットにつながると言う。
ナスカの地上絵は、何百キロも離れた別の古代文明の遺跡とも関係があるようだ。
<続く>