前回、「ルクソール神殿」のオベリスクの横に置いてあるラムセス2世像の頭部は、完全に左右対称に造られていると書きました。
これは、人の手で造れるものではないと。
まるで電動工具を使って作ったようだと。
この記事を書いた後、たまたま、4月末にルクソール神殿に行かれた方のブログを発見したのです。
★ナイルを渡る風さんのブログ
そしたら、オベリスクの横にラムセス2世の頭部がないではありませんかっ!
あれ?どこ行った?
と、よく見たら。。頭部が置いてあった後ろに新しく像が出来てる!!
そう言えば、私たちが訪れた時、頭部の後ろは工事中で、黒い足がのぞいてましたね。
そっか、復元した像の上に乗せたんですね!
納得しました。
復元作業は昨年になって始まったようで、以前には右から2番目の立像もありませんでした。
像3体⬇︎
像4体⬇︎
像5体⬇︎
左端に、あと一体も出来るのかな?
(そしたら、パリ・コンコルド広場のオベリスクも返してちょ!)
1958年に発見されたこのラムセス像は、ちょうど60年目の2018年4月20日に、修復完成の除幕式が行われたようです。
首が繋がって良かったね!
だけど、最初に復元された右側の像の完成度をとくとご覧下さい。
やっぱ、お顔に威厳がないよね。。
現代の技術を持ってしても、古代エジプトの技術には敵わないという事です。
古代技術はやっぱ、美しい〜♡
これからルクソール神殿に行かれる方は、右から2番目の像のお顔と、オベリスクの左側の像のお顔を、よく見比べてみて下さいね!
それから、今、スフィンクスの参道も修復中だそうで、通行が出来なくなっているそうです。
約3キロ離れた「カルナック神殿」と「ルクソール神殿」とを昔のように繋げるようです。
古代には、年に一回の「オペトの大祭」の折に、いつもはカルナック神殿の至聖所に安置されていた神々の像が、このスフィンクス参道を通ってルクソール神殿へと運ばれていたそうです。
ファラオはこのお祭りの時に、アメン神によって神聖な存在と認められ、地上の神になった事を民衆の前で力強く宣言して来たのでした。
さらに、スフィンクス参道について、過去からの転生者・オンムセティが、ここでも興味深い証言を残しています。
エドガーケイシーは、ギザのスフィンクスの下に、アトランティス時代にさかのぼるエジプトの知られざる起源について書かれた書物が収められた「記録の間・ペルメジャト」が存在すると発言していました。
それとは別の「記録の間」がルクソールにあるとオンムセティは言っています。
そこには、先祖たちの時代から伝えられている多くの重要な出来事の記録を記した書物が保管されているそうです。
場所は、スフィンクス参道の外側で、ルクソール神殿の北西。
人の頭をしたスフィンクスが、ひつじの頭をしたスフィンクスに切り替わるあたりで、そこが参道から分岐した小道になっていたのではないかと話していました。
ひつじのスフィンクスは、一定の間隔で並んでいますが、一ヶ所だけ間隔が違う所があり、そこが小道に繋がる分岐点ではないかというのです。
今は、工事をしているので、スフィンクスも等間隔に修復してしまったかも知れませんね。
そこは、アラブ社会主義者連盟の家のある東側だそうです。
もし、古代の記録が収められた「記録の間」が発見されたならば、我々が予想も出来ない古代の建築技術も記されているかも知れませんね。
どなたか発掘してくれないかなあ。。
とにかく、今、エジプトは大きく変わろうとしています。
カイロにある「エジプト考古学博物館」もギザに移転するし、今まで未公開だった神聖な場所があちこち公開されているし、神殿の像なども修復しているし。。
この流れは一体。。エジプトに何が起ころうとしているのでしょうか。
あれ〜、なかなか「ルクソール神殿」の内部に進めましぇーん(汗)