台風18号が近づく中、北海道から無事戻って来る事が出来ました。
今回、「絶滅種鎮魂祭」という儀式に参加した時に、来賓席には我々人間が絶滅に追い込んでしまった動物たちの名前がありました。
驚いたのは、私たちが知らない名前がたくさんあった事。
昔に絶滅してしまったのですから、名前が話題に上らないわけで、知名度が低いのも頷けますが、名前すら忘れさせてしまったのは、私たち人間のせいでした。
人間は、幾多の間違いを犯す生き物ですが、それを反省し、彼らに謝罪し、感謝を捧げる為に鎮魂祭を行なったのでした。
この建物は、北海道のパワースポットにあり、年に一度の「絶滅種鎮魂祭」の為だけに建てられたものだそうです。
既に、今年で18年目だとのこと。
アイヌの方々が、鎮魂祭にどれだけ想いを込めているかが分かります。
そこで、本日は来賓席にいらした絶滅種の動物たちのご紹介をさせて頂きたいと思います。
まずはエゾオオカミ様⬇︎
かつては北海道や樺太や千島列島に生息。
明治に入り北海道の開拓により獲物のエゾシカが減少し、エゾオオカミは代わりに放牧されたウマを襲うようになったため、1877年に開拓使によって賞金がかけられ駆除されていきます。
また、1879年には大雪によりエゾシカ大量死が起こり、さらにエゾオオカミは追い詰められていきました。
1896年に函館の毛皮商によってエゾオオカミの毛皮数枚が扱われたという記録を最後に確認例がないそうです。
ニホンオオカミ様⬇︎
ニホンオオカミは1905年の1月23日に日本列島から完全に姿を消しました。
これは猟師の石黒平次郎が、奈良県東吉野村の地元猟師からニホンオオカミの死体を買い取った記述が残されていて、それが最後の生息情報とされています。
ニホンオオカミは、日本の生態系のトップでした。
人間の開発による生息域の減少と、宗教的な観点でのオオカミの頭蓋骨狙いの捕獲、駆除、そして海外から来た伝染病などの為、絶滅しました。
フクロオオカミ様⬇︎
フクロオオカミは、オーストラリアのタスマニア島に生息していました。
背中にトラを思わせる縞模様があることから、タスマニアタイガーとも呼ばれています。
有袋類で「袋を持つオオカミ」なのでその名前があります。
タスマニア島では、羊を襲うタスマニアタイガーが目の敵にされ19世紀後半からタスマニアタイガー狩猟に懸賞金がかけられ、大量虐殺が行われました。
相当数が減っても銃殺は止まらず、1930年に野生のタスマニアタイガーは絶滅したとされました。
しかし、1933年に再度発見され動物園で保護されましたが、ついに1936年に死亡し、完全絶滅をしたと考えられています。
ニホンカワウソ様⬇︎
日本全国に広く生息していましたが、乱獲や開発が、ニホンカワウソの生態系に多大な影響を及ぼしました。
ニホンカワウソは保温力に優れた上質な毛皮を持っている為、昭和初期から乱獲が行わるようになりました。
この乱獲を止めようと、1928年にはニホンカワウソの捕獲禁止が発令されています。
さらに生息数の減少に拍車をかけたのが、開発による環境の変化です。
周辺地域の開発や河川の工事、また農薬や排水による水質悪化により、ニホンカワウソの住みかがどんどんなくなっていきます。
こうして、ニホンカワウソは絶滅に追い込まれ、1979年以来目撃例がないため、2012年に絶滅種に指定されました。
長くなりそうなので、続きは次回にしたいと思いますが、少し調べただけでも、人間のした事に心が痛みます。
絶滅してしまった種は、もう蘇りません。
壊してしまった自然環境も。。
人類は、地球上の頂点に君臨し、これからどこまでいこうとするのでしょう。
そして、今後もいっそう何をするつもりなのでしょう。。
どこまで便利になれば満足するのでしょう。
今回、「絶滅種鎮魂祭」という儀式に参加した時に、来賓席には我々人間が絶滅に追い込んでしまった動物たちの名前がありました。
驚いたのは、私たちが知らない名前がたくさんあった事。
昔に絶滅してしまったのですから、名前が話題に上らないわけで、知名度が低いのも頷けますが、名前すら忘れさせてしまったのは、私たち人間のせいでした。
人間は、幾多の間違いを犯す生き物ですが、それを反省し、彼らに謝罪し、感謝を捧げる為に鎮魂祭を行なったのでした。
この建物は、北海道のパワースポットにあり、年に一度の「絶滅種鎮魂祭」の為だけに建てられたものだそうです。
既に、今年で18年目だとのこと。
アイヌの方々が、鎮魂祭にどれだけ想いを込めているかが分かります。
そこで、本日は来賓席にいらした絶滅種の動物たちのご紹介をさせて頂きたいと思います。
まずはエゾオオカミ様⬇︎
かつては北海道や樺太や千島列島に生息。
明治に入り北海道の開拓により獲物のエゾシカが減少し、エゾオオカミは代わりに放牧されたウマを襲うようになったため、1877年に開拓使によって賞金がかけられ駆除されていきます。
また、1879年には大雪によりエゾシカ大量死が起こり、さらにエゾオオカミは追い詰められていきました。
1896年に函館の毛皮商によってエゾオオカミの毛皮数枚が扱われたという記録を最後に確認例がないそうです。
ニホンオオカミ様⬇︎
ニホンオオカミは1905年の1月23日に日本列島から完全に姿を消しました。
これは猟師の石黒平次郎が、奈良県東吉野村の地元猟師からニホンオオカミの死体を買い取った記述が残されていて、それが最後の生息情報とされています。
ニホンオオカミは、日本の生態系のトップでした。
人間の開発による生息域の減少と、宗教的な観点でのオオカミの頭蓋骨狙いの捕獲、駆除、そして海外から来た伝染病などの為、絶滅しました。
フクロオオカミ様⬇︎
フクロオオカミは、オーストラリアのタスマニア島に生息していました。
背中にトラを思わせる縞模様があることから、タスマニアタイガーとも呼ばれています。
有袋類で「袋を持つオオカミ」なのでその名前があります。
タスマニア島では、羊を襲うタスマニアタイガーが目の敵にされ19世紀後半からタスマニアタイガー狩猟に懸賞金がかけられ、大量虐殺が行われました。
相当数が減っても銃殺は止まらず、1930年に野生のタスマニアタイガーは絶滅したとされました。
しかし、1933年に再度発見され動物園で保護されましたが、ついに1936年に死亡し、完全絶滅をしたと考えられています。
ニホンカワウソ様⬇︎
日本全国に広く生息していましたが、乱獲や開発が、ニホンカワウソの生態系に多大な影響を及ぼしました。
ニホンカワウソは保温力に優れた上質な毛皮を持っている為、昭和初期から乱獲が行わるようになりました。
この乱獲を止めようと、1928年にはニホンカワウソの捕獲禁止が発令されています。
さらに生息数の減少に拍車をかけたのが、開発による環境の変化です。
周辺地域の開発や河川の工事、また農薬や排水による水質悪化により、ニホンカワウソの住みかがどんどんなくなっていきます。
こうして、ニホンカワウソは絶滅に追い込まれ、1979年以来目撃例がないため、2012年に絶滅種に指定されました。
長くなりそうなので、続きは次回にしたいと思いますが、少し調べただけでも、人間のした事に心が痛みます。
絶滅してしまった種は、もう蘇りません。
壊してしまった自然環境も。。
人類は、地球上の頂点に君臨し、これからどこまでいこうとするのでしょう。
そして、今後もいっそう何をするつもりなのでしょう。。
どこまで便利になれば満足するのでしょう。