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アイヌのシャーマンについて

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阿寒湖にご一緒したようこさんが見つけて下さった記事です。

★田口ランディのコラムマガジン★

田口ランディさん

photo:05


「アイヌのシャーマンに教えられたこと」

「北海道にアイヌのシャーマンに会いに行くんだよ」と私が言うと、友人達は(またか?)って顔をした。

ダイエーの中で待っていると、しばらくして太った背の低い女性がやって来た。アイヌっぽい刺繍の入った袢纏とヘアバンドをしている。

この人がアシリ・レラさんだと直感した。

向こうも私の顔を見るとすぐに「あんた若いわねえ、もっとオバさんが来るとばっかり思ってたわよ」と言ってがっはっはと笑う。

私だってシャーマンと言うから70歳くらいの老婆だと思っていたのに、とんでもない。アシリ・レラさんは50代前半の女性で溌剌としてパワフルだ。

その迫力、しゃべり方、声が、代議士の田中真紀子さんに似ている。

早口で洒落を連発し、機転が利き、シャーマンというより女社長みたいだ。

(どこがシャーマンなんだよ~)と私は心の中で叫んだ。

■アシリ・レラという人

photo:06


彼女は二風谷で「山道アイヌ語学校」という学校を作り、事情があって親と暮らせない子供たちを引き取り、自分の養子にし、育て、共同生活をしている。

二風谷は普通の民家が立ち並ぶ一見なんの変哲もない町である。

でも、山の麓の彼女の土地だけは別だ。一歩踏み込むと、いくつのもチセと呼ばれる藁葺きの小屋が立ち、その中には囲炉裏が掘られ「イウナ」というアイヌの神が飾られ、昔ながらのアイヌの生活が受け継がれている。

まるで映画のセットみたいに、山道アイヌ語学校のまわりだけが昔ながらのアイヌ・コタンそのものの風情を残している。

囲炉裏に燃える薪、干したシャケの頭、薬草のヤカン、むっくり。

「私が民族運動に目覚めたのは15歳の頃だったなあ。学校の先生がね、歴史の授業が終わった時に、最後に一言こう言ったのよ。この歴史はウソだからなって。それは私たちアイヌの子供たちへの思いやりだったと思うのね」

「だって、日本には昔から大和民族しかいなかったみたいな歴史を教えるじゃない。だけど、そうじゃない、アイヌがいたんだってこと、先生はわかってるわけよ。

それで、授業の終りにぼそりと言ったの。この歴史はウソだから な、って。

私、あの言葉を忘れない。本当にそれを聞いた時に嬉しかった。

あの一言があったから、今日までアイヌ文化を、アイヌ民族を守るために運動して来れたんだと思う。先生のあの一言に力づけられてね」

早くに結婚し子供をもつが、ご主人を事故で亡くす。

それから28歳の時に二風谷で土産物屋を始める。店は繁盛し人を使って商売し裕福な暮しもできるようになる。

「でも、その頃から、お金が入れば入るほど、自分のアイヌとしての生き方を見失っていくようで怖くなってしまったの。

このまま、お金を儲けたら、どんどん物を大切にしなくなって、自然への感謝を忘れて、自分はアイヌじゃなくなっちゃうって思った」

そして、アシリ・レラさんは10年も続けて繁盛していた土産物屋を突然に 閉めてしまう。

「バカだと思うよ。自分でも。わざわざ貧乏になってさ。

でもね、このまま続けていたら自分ではなくなってしまう、と思ったのさ」

「それから農家の手伝いをして暮らしたよ。もう、子供たちにもいきなり貧乏させてねえ。おやつもお菓子なんか一切食べなくなった。

野菜や木の実、山菜が主食ね。畑を借りて自分で野菜を作りながら暮し始めて、そんで、貧乏のまま、今に至るわけよ」

山道アイヌ語学校を始めたのは8年ほど前。ある民族運動の集会で大阪に行った時のこと。

大阪で在日韓国人の中学生が同級生のイジメにあって、彼女が滞在する会場の近くで飛び降り自殺をした。

「そのときへ、死んだ子の気持ちも、苛めた子の気持ちも、その思いが両方とも私のなかに入って来たの。

その瞬間、ああ、子供たちをなんとかしなくちゃいけないって思った。子供たちにアイヌの文化を伝えながら生きる術を教える学校を作ろう、って突然思いついたのね」

彼女の家に滞在していると、毎日、毎日とっかえひっかえ誰かが相談事にやってくる。

遺産相続問題から、嫁舅問題まで。時としてアシリ・レラさんは、法律知識のない老人に代わって裁判の代理人も務め、弁護士を相手に法廷で闘う。

そうかと思うと、日照りが続くと雨乞いの祈祷をして雨を降らせたりする。大地を浄霊し、迷える魂を神の国に送る儀式をする。

どう表現すればいいのだろう、とても現実的なシャーマン。弁護士みたいなシャーマン、中小企業の社長みたいなシャーマン、女闘士みたいなシャーマン。

レラさんはそういう人なのである。

■原発予定地とサンクチュアリ

「ねえ、苫小牧に偵察に行くからいっしょに行かない」と、ある日レラさんが言う。

「偵察?」「そう。今、苫小牧の東にとてつもない原発と核燃料再処理工場を作る計画が進んでるんだよ。そこは昔、アイヌが住んでいたサンクチュアリなんだ」

車に便乗して話を聞きながら苫小牧に向う。

「田口さんも見たと思うけど、二風谷に二風谷ダムってのが出来てただろう?あれって、何のために出来たダムだと思う?」

そういえば、真新しいダムが沙流川にでき上がっていた。

「あのダムはね、将来、苫小牧に原発と再処理工場が出来た時のための冷却水を確保する目的で作られたんだ。

苫小牧にはね、イギリスやフランスと共同で使う六ケ所村よりも大規模の核燃料再処理工場が作られる計画が進んでいる。

いま、4つの団体が共同で反対運動を進めていて、アイヌもそれに加わってるんだ」

そう説明するアシリ・レラさんは、勇猛な古代の女闘士のように見えた。

レラさんが案内してくれたのは苫小牧郊外の広大な湿地帯で、とても案内なしに踏み込むことは不可能なほどバカ広い。

そこに、すでに監視塔や、いくつかの研究所が建設されて、アシリ・レラさんたちは秘密裏に事業計画が進行しなかどうかを定期的に偵察しているのだと言う。

「海水で冷やすとサビが来やすい。だから、川の水をここまで引いて来て冷却しようという計画なんだ。近隣の川を巻き込んでの大規模な事業計画が勝手に進んでいる」

「ずっとずっと昔、この広大な湿地にもアイヌが住んでいた。川べり一帯にアイヌは暮し、そしてこの豊かな自然に生かされていた。

自然が豊かだったから、アイヌは農耕をする必要もなく、富を蓄える必要もなかったんだ」

「ところが、ここにも侵略の手が入って多くのアイヌが殺された。大規模な殺戮が起こって、殺したアイヌの遺体をこの奥にある弁天沼と呼ばれる沼に放り投げた。だからこの辺りはアイヌのサンクチュアリなんだよ」

車が弁天沼に向って鬱蒼とした木立を走っていく。話が話だけに聞いているだけで気分が重苦しくなってくる。

「弁天沼のあたりにも原発が一基作られる計画なんだけど、もし、あの沼にそんなものが出来たら、沼に鎮められた魂がどんなに嘆き怒るかと思うと恐ろしい。

だってね、あの弁天沼は、あまりにも死者の魂が浄化されずに残っているので、弁天様が三日三晩祈祷してボロボロになって出てきた……と言うんで弁天沼って名づけられ場所なんだよ」

怖い話に弱い私は、もうなんだか背筋がゾクゾクしてくる。とはいえ、もちろん、霊能力など皆無の私には何も感じないのだが。

■人間の義務は祈ること

車が弁天沼に着くと、アシリ・レラさんが沼を指さして言った。

「ここはね、写真を撮ると、誰が撮っても絶対に水面に顔が写るほど怨念の強い場所なんだ。

私が霊視すると、バラバラに切り刻まれて捨てられる様子が見える。あんたも写真撮ってごらん、写るから」

そんなものを撮ってしまったら始末に困るので、私はカメラすら向けなかったけど、確かにこの沼を撮った写真には顔がたくさん写っていた。子供とか、老人とか、いろんな顔が。

レラさんは子供の頃から霊視の能力があり、30代で火事のため大火傷を負い生死の境をさ迷ってからはさらに霊力が強まってしまったと言う。

彼女は大地を鎮め、魂を神のもとに送る力を持っているらしい。それは、アイヌなら誰でもかつては使えた力だとレラさんは言う。

「私たちアイヌは神と魂の存在を信じていたからね。すべての生き物に魂があり神が宿っている。それを信じること、一点の疑いも持たず信じること、それが力なんだよ」と彼女は言った。

「歴史の中で繰り返し繰り返し大地を汚し、そして魂も送らずに放置し、再び原発など作ったらどうなるか。そこまで大地を汚してよいものか」

レラさんはそう言って手を合わせ、祈った。鳥が一斉に飛び立った。

アシリ・レラさんと沼の前で手を合わせて、苫小牧の事業開発予定地を後にしてから、私たちは「静川縄文遺跡」へと向った。

「縄文人はアイヌの先祖だからね」とレラさんは言う。

この静川のほとりにある縄文遺跡は、不思議な円環の丘陵に囲まれていた。

この地にかつて確かに人が暮らしていた、そのなごやかな雰囲気が今も残っているような気持ちのよい場所だった。

「この円形の丘陵が何の目的で作られたのかわからないのだけどね、でも丘に 登ってみてごらん、本当に気持ちのよい場所だから」

言われた通りに丘の上に登ると、冬の午後の陽射しで北海道の大地はまばゆく輝いている。

空気がき~んと澄んでいて、空の彼方から気流の鳴る音が聞こえてきそうな気がした。

「なんて気持ちのよい場所なんでしょう」と私が言うと、アシリ・レラさんは笑った。

「そうだろう、さっきの場所とは全然違うでしょう。

ここの遺跡は北海道の高校の先生が発見して、そして先生達が団結して守ってくれた場所なんですよ。そのために教職を追われた人もいたけどね」

「でも、こうして守られ、残されて、気持ちのよい公園になって、子供たちが 遊びに来る。古代のご先祖様たちはさぞかし喜んでいると思うよ」

大地にどっこいしょと正座して、嬉しそうにレラさんはおむすびを食べていた。

その姿を見ていたら、私はなぜか泣けて泣けてしょうがないのだ。もう涙がボロボロと止まらなくなって、意味もなく泣けてしょうがない。

不思議なのだけれど、ときどきレラさんを見ているだけで、感情が昂ぶって泣けてしょうがなくなる。理由は全くわからない。

レラさんにアクセスすると、そのまま別の世界のホストコンピュータに接続してしまうような、そんな感じなのだ。

だけど、私のOSはまだ「もうひとつの世界」に対応していない。だからエラーして感情だけが乱れてしまう。

彼女と居ると、なぜ私はここに居るのかを思ってしまう。延々と太古から受け継がれてきた命の連鎖の果てにここに自分が存在することの意味を問うてしまう。

あたりまえの事だけれど、聖火リレーのように男と女が結合し子供を生んだその果てに私が存在しているのだ。

たどれば縄文まで戻る、いやそのもっと先まで。その証として私が存在している。

「人間の義務はね、万物の霊長としてすべての生き物のために祈る事なんだよ」とレラさんは言う。

「それが、天と地の間に垂直に立つことのできる人間の役目だ。祈り、すべての生命の魂を天に送ることが人間の義務なんだ。神はそのために人間を守ってくれるんだよ」

なんという美しい考えだろうと思った。人間ってすごいなあって思った。ヒトとして生まれた事に、初めて誇りを持てたような、そんな気がした。

だって私は、これまでずっと、人間であることが、なんだか申し訳ないように 後ろめたく感じていたのだ。この地球を蝕む者として……。

<抜粋終わり>

アイヌの活動家 アシリ・レラさんについて

日高山脈から流れる沙流川沿いに開けた山裾の集落、北海道平取町二風谷。

ここでは山と川からの豊かな恵みを得て、昔からアイヌの人びとの暮らしと文化が営まれてきた。

その末裔である山道康子さんは、彼女を慕う多くの人たちから、アシリ・レラさん(アイヌ語で「新しい風」の意)と呼ばれている。

二風谷ダム建設で揺れる時勢を受けて15歳からアイヌ女性活動家として奔走し、アイヌの文化継承と職業訓練のためにアイヌ語学校を設立。

その傍ら事情がある子どもを引き取り育てあげてきた。

世界各地で儀礼を行い先住民族との交流も多いアシリ・レラさんを、彼女が主宰する「アイヌモシリ一万年祭」の会場に訪ねた。
 
―おいたちから聞かせてください。

今から68年前の2月のことでした。私は雷が落ちたときに生まれたそうです。

私を雷神の生まれ変わりと火の手を恐れた両親は、一度私を外に捨て、拾って東の方角から家に入れて「この子が落ちていました。人間の子として入れます」と、カムイに申し送りをしました。

そうやって人間の子として授からせてもらう儀式をしたそうです。

貧しくても道徳を重んじる両親のもとで、私は山や川で熊の子みたいに遊んでいた子どもでした。

学校をさぼってばかりいる私を見かねて家庭訪問に来た先生に対し、母が「普通の子といろいろ違うのでご迷惑をかけますが、やる気になったら学ぶでしょうしやる気がない時に押しつけてもやらないでしょう」と笑って追い返したのを覚えています。

子を守る愛の強い人でした。父親はアイヌ民族のアイデンティティを確立しようと猛烈に勉強し、尋常高等中学校を優秀な成績で卒業した人でした。

教師を志しましたが、アイヌであるがゆえに夢は叶わず、山奥に引きこもり、炭焼きで生計をたてていました。

当時の北海道では、線路の敷設工事やトンネル工事でアイヌや朝鮮人、日本の囚人が奴隷のように働かされる状況が続いていました。

父は工事現場に炭俵を3つか4つ売りに行っては、帰りの炭俵にひとり入れて逃がすということもしていました。

アイヌよりも悲惨な扱いを受けていた朝鮮人の男がこう叫ぶのを聞いたそうです。

「茅葺きの家に逃げろ」。アイヌの家に逃げ込めば生きて帰れると。

そういう話を仲間としては「こんなことが許されてはいけない」と話す父の姿をよく見てきました。

「もしかしたらうちの父親、政治犯かもしれないな」と思いながらね(笑)。
 
―アシリ・レラさんのさまざまな活動は、そんなご両親の姿を見ていたから?

そうです。自然のあらゆることを教えてくれました。

動物が木の実を食べて排泄することで種を撒いていること、リスは冬眠のために埋めた木の実の食べ残しが翌年には発芽し、森をつくること、川岸に柳を植えると根が張って護岸になること、柳の根の下に魚は産卵し、天敵から卵を守ること……

いろんなことを教わりました。小学6年くらいになると、父は急に厳しく読み書きを教えるようにもなって。

当時は多くのアイヌが借用と偽られて土地を奪われていたので字の勉強は重要と思ったのでしょう。

山が開発され、洪水はひどくなる一方で、アイヌ研究が始まり、学問という名のもとに先祖の墓がどんどん掘り起こされていました。

最終的に日本人はみんなアイヌのルーツである縄文人が原点だという結論に達したけど、骨は持ち主に返してほしいと憤りを感じていたんです。

だけど厳しい時代を生きてきたアイヌの老人たちは「日本語を話せ」と言う。

アイヌ語は記憶伝承だから、しゃべらなくなると、子どもたちは覚えられなくなる。

思春期の多感な時代にいろんな思いが渦巻いていた私は、中学校の卒業式にアイヌの鉢巻きマタンプシをいつもと同じように巻いていきました。

そうしたら「それを外すなら卒業証書をやる」と言われました。私は卒業証書をビリビリに破いて、運動の世界に飛び込んだんです。
 
―このアイヌモシリ一万年祭も今年で26年目になりますが、一万年という言葉にはどんな思いがあるのでしょうか。

一万三千年前は日本も大陸と陸続きでした。

当時はアイヌの祖先である縄文人が南までいて、後からきた渡来の文化と融合して日本の文化が形成されているので、もちろん日本人は混血だし、アイヌも今は赤ちゃんに蒙古斑が出るようになりミックスが進んでいます。

長い間、血と破壊の歴史は繰り返されたけど、一万年前はすべての人は神の子で、大地はウレシパ・モシリ(互いに育ち、育み合う大地)だった。

だから一万年前の原点に戻ろうという思いがあります。

会場のあるここは、新冠の御料牧場建設のために強制移住させられたアイヌがいた場所。

同じように労働に従事して亡くなった朝鮮人、日本人の慰霊も兼ねて毎年お盆の時期に行っています。
 
―この一万年祭に数日滞在して驚いたのは、子どもの数が多いこと。ステージに子どもが自由にあがって大人とやりとりしては、降りていく姿が印象的でした。また、アイヌ語学校の歌と踊りを見せていただきましたが、歌と踊りのなかに、人間関係の間合いのとり方など教育的な教えが込められているようにも思いましたね。

アイヌは見て覚えることを大事にしているんです。

昔はまわりに子どもがいたり、赤ん坊が這っていたりしても邪魔にすることはなかった。子どもは見て覚えるものと知っていたから。

今も私はそのやり方でやっています。学校の子どもたちは小さいときから見てやってきたから、踊っているときに小さな子が這い上がってきても邪魔だと思わないんです。

やっぱり子どもは大人と一緒に学んでいくのがいちばんです。かつて父親はこんなことを言いました。

「仕事ではない。食べることではない。お金を得ることではない。人間関係がいちばん大変なんだ。これができる子になったら、世の中は怖くない」って。

人間関係がもつれて、トラブルが起こるから嫌になるわけでしょう? 

相手の心をわかってあげられる子になれば、世の中で楽に生きていける。それがアイヌの子育て。人間らしい人間に育つ方法です。
 
―人間らしい人間とはなんでしょうか?

それは、人は人を殺しちゃいけないということ。人は人を裁いちゃいけない。人の悪口を言ってはいけない。人を悲しませてはいけない。

人は地上に生まれたら、生きる権利がある。食べる権利がある。そして幸せな心で生きる権利がある。これを破ると人間としての安住はありません。これが人間らしい人間です。
 
―アイヌの神様のこと教えてください。

まず、私たちは偶像崇拝をしません。その代わり、天地、太陽や月、森、火山の火、水……自然のなかのあらゆるものにカムイがいます。

それらは人間が絶対につくれないものであり、人間が絶対に勝てないものです。
 
―世界各地の先住民族と交流があるそうですが、どのような出会いがありましたか?

ネイティブアメリカンやオーストラリアのアボリジニ、ニュージーランドのマオリ、ハワイ、ロシア、台湾、いろんなところに行かせていただきました。

タスマニアでは“大地の人”という意味のクーリーというアボリジニに会いました。

彼らも白人社会の文明を押しつけられた人たちでしたが、「魂は売らない」とはっきり言って、カンガルーの踊りなど披露してくれました。

わずかなお金のために羽毛布団の原料となる鳥をたくさん捕らねばならない彼らは、胸が傷むと泣きながら話してもくれました。

水のダムができてさらに水不足が起こったとも言っていました。世界で起きている先住民族の問題は同じですね。

でも最近、変わり始めましたね。白人でもネイティブの人を好きになって結婚する人もいる。

神々は今混ぜているのかなと思います。魂のいいところを残すために工夫している。きっとその人たちが地球を元に戻すのかなと私は思っています。
 
―読者へメッセージを。

私は歳だからやがて死んでいくだろうけど、これからの若い人たちには、ぜひ木を植えてほしいと思います。

木を植えて森をつくれば川がきれいになり、魚が産卵にきます。まず森です。

動物や鳥、魚を必要な分だけ食べて生きていける命の森。私たちのイオル(生活基盤)は森から始まり、川を流れ海から戻ってくる。

もしも森や川や太陽が「ああ疲れたから休むか」と休んでしまったら、私たちは生きていけない。

酸素がなくなり呼吸もできなくなる。そういうことを多くの人は忘れてしまいました。

でも元に戻すのは、人間にしかできません。動植物を守ることができるのも人間なのです。

ものを言わないからよいのではなく、ものを言わずに森を再生してくれている彼らのことを忘れてはいけません。

カムイは動植物も、我々も同じようにつくられました。

ただし、山や森を守るために、私たちに言葉を与え、歩くことを教えた。

そして、死んだ人たちと動植物を恐れないように、人間に火を与えました。

だからカムイノミ(祈りの儀式)は必ず火を焚くんです。

煮炊きや、水を使って消すことも教えた。それをおろそかにすると火事になるけれど、山で火を焚いたり、鈴やラジオなどで自分の存在を知らせれば、動物は寄ってきません。

そのように、私たちは彼らの代弁者であり、火を持って掟を守ってきたのだから、それを忘れてはいけないのです。

<転載終わり>

日程が合えば「アイヌモシリ1万年祭り」にせつ子さんらと参加する予定でいます。

その際に、北海道に在住される方々とお目にかかれたら嬉しいです。

ご連絡お待ちしております。

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