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今は亡き沖縄のおばぁに感謝!

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昨日は、沖縄旅のフィナーレを飾るに最高に相応しい日となりました。

今回の2日〜6日の沖縄入りは、観光目的ではなく、ソウルメイトたちとの絆を深め、大城清太さん御夫妻にお会いする為にのみ用意されたものだったんだと思わずにはいられません。

5日間の滞在中、3日間もお忙しい清太さんとお話しているのです。

それだけでも充分ミラクルです。

それもこれも、横浜での講演会の文字起こしの原稿が私たちを取り持ってくれていたのです。

結論から言うと、文字起こし原稿の校正は、私たちが滞在している間は出来上がりませんでした。

清太さんは、講演会の時、おばぁに導かれてお話ししていたそうで、何を話したか全く覚えていないそうです。

文字起こし原稿を読んでご自身でも不明な言葉があるそうなんです。

なので、アツミさんから音声を送って頂き、それを聴きながら作業して頂く事になりました。

何と、アツミさんは既にほとんどのテロップを入力済みだそうで、後は大城さんの校正を待つのみとなっているようです。

早っ!

さらに、大城さんは独特な沖縄言葉の名称の「ヴィ」や「ビ」の表記にもこだわりたいようで、伝承言葉を紐解いて調べてから校正して下さるそうです。

なんだかますます凄い事になって来ました。

否が応にもDVDと書籍化の期待が高まります。

しかし、これら全ての出来事の裏におばぁの存在が見え隠れしているのを感じるのです。

沖縄でのソウルメイトたちと出逢わせてくれた事。

講演会が大成功で開催出来た事。

音声がうまく入らなかった為に文字起こしがされ、書籍化にまで繋がった事。

そして、さらに昨日、思いも寄らぬ出来事が起こったのでした!

5日にカフェ・ユニゾンでご夫妻とお会いした時に、「今日までに校正が完了しなかったので、明日またお会いしましょう。」となったのです。

その時に、奥様が「御嶽をご案内したら?」と提案して下さったのです。

その一言がどれほど重要な言葉だったのか、その時の私たちにはまだ理解出来てはいませんでした。

本にも載っていたあの御嶽に行けるの?と単純に喜んでいたのです。

ところが、事はそんなに簡単なものではなかったのです。

6日の朝、麻子さんとタニーソースさんと私は、大城さんの住む場所に向かい、公民館前で合流しました。

それから早速、清太さんが私たちをいくつかの拝所(ウガンジョ)にご案内下さったのです。

御嶽に行く時には、必ず回る順序があって、いきなり行っては神様に通されないそうです。

いわゆる受付で名前を名乗るような所がちゃんとあるのでした。

清太さんは、一箇所ずつ、とても丁寧に説明をして下さるのでした。

いくつかの拝所でお祈りをして、国柱(くにじく)という沖縄北部・中部・南部に一つずつあると言う柱の場所に来た時に、清太さんから信じられない言葉を聞いたのです。

「僕がこうやって説明しながらご案内する事は、ほとんどないんです。あっても3組目くらい。」

え〜〜!! し、知らんかった。。

てっきり、これまで沢山の方々をご案内していらっしゃるとばかり思っていました。

「昨日かみさんが、misaさんたちをご案内したら?と言った時に、かみさんでも滅多に言わない台詞だったから、きっとおばぁが言わせたんだなと感じました。」

そう仰る清太さんの言葉を、今も深くかみしめています。

今、思い起こしても魂が震えます。

私たちが御嶽を回れたのは、もの凄い奇跡だったんです。

沢山の場所で祈った最後に、「前ヌ(メーヌ)御嶽」にご案内いただきました。

大城さん云く、その場所あたりから次元が違うようです。

photo:07


また、大城さんの本にもあるように、メーヌ御嶽は木の神様の御嶽で、空氣と酸素をつくる神様がいるそうです。

photo:08


酸素は頭に上がり、空氣は空っぽの身体に「氣」が入るんだそうです。

そして、この場所は宇宙と地を繋いでいるそうです。

photo:09


「三十三嶽結ビ御嶽」とあるように、世界には33の御嶽があり、それを結んでいる重要な神様なんだそうです。

photo:11

photo:10


今回、清太さんともお話ししたんですが、沖縄在住の方は意外と御嶽に近づこうとしません。

行ってはダメな神の場所と思っているようです。

確かに昔から「あそこに行ったらマムシがいるから近寄らないように。」と人々の恐怖心で神聖な御嶽を守っていた風習もありました。

けれど、それだとやがてかみんちゅの後継者がいなくなった時に、その御嶽はその場所の本当の意味さえも誰にも知られず途絶えてしまうのです。

大切な伝統や伝承こそ、後の世代に継いで行って欲しいものなのです。

だから、清太さんのお父様はこの御嶽を覆うものを払い、村の人々が集う場所をすぐ近くに建て、村の中心部としたそうです。

この村ではメーヌ御嶽の存在を知らない方はいないそうです。そして誰からも大事にされているじゃないかと思いました。

沢山の人々にお参りして頂けて、さぞかし御嶽も喜んでいる事でしょう。

photo:12


私たちをこの御嶽に繋いで下さった大城さんご夫妻とおばぁに感謝いたします。

沖縄とこれから行く北海道、そしてネィティブアメリカンの聖地、それらが全部繋がる氣がしてなりません。

一度繋がったなら、離れていても何処からでも沖縄の神様と繋がれる氣がします。

大城さん、本当にありがとうございました。

そして、私たちは大城さんのお父様のお宅にお邪魔させていただきました。

見た事もない立派な床の間と、仏間の間に観音様が祀られていました。

photo:13


大城さんによると、昔ながらの沖縄の住宅は、御嶽と拝所の縮図となっていて、毎日の生活が御嶽をお参りしているのと同じ造りになっているんだそうです。

photo:14

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自分の家の中の事がちゃんと出来なければ、外でも出来ないという事になるそうです。

近くには、雨や台風で御嶽にご挨拶出来ない時に、代わりにお参りする場所までありました。

こうやって、しっかり守られている御嶽は幸せですね。

御嶽や拝所は、海底から隆起した時のサンゴの岩で出来ていました。

宮古島でもそうでした。

私は、そういう場所では身体がとっても熱くなるのです。サンゴの遠赤外線効果だと思いますが、メーヌ御嶽では、座っているとお腹がぽかぽかになりました。

清太さんが小さい頃、ポテトチップスでお友達とケンカをした公民館もありました。

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清太さんが御嶽に拝みに行く途中、お友達から声がかかった野球グラウンドもありました。

photo:02


そこは、清太さんの世界が沢山詰まった場所でした。

感無量とはこの事を言うのでしょうか。

沖縄から帰る日は、予期せぬような素晴らしいフィナーレを飾ることが出来ました。

麻子さんも、想い出に残る誕生日プレゼントになった事でしょう。

帰り際、清太さんのお母様が作られたサーターアンダギーをお土産にと奥様が下さいました。

これを食べたら市販のものは買えないという美味しいサーターアンダギーでした。

もう既にいくつ食べたか分からないほど、いただいてしまいました。

photo:03


久しぶりに会った友達に別人と思われないように、太らないといいのですが(汗)

それから、大城さんのご家族に見送られながら、車はそのまま那覇空港に向かいました。

麻子さんとは、空港入口の所でお別れです。

photo:04


涙・涙のお別れとなりました。

photo:05


タニーソースさんと、空港内でランチをしていると、何と、前日に浜川御嶽まで来て下さった読者の方がお見送りに来て下さるとの事。

photo:06


有難いことしきりです。

保安検査所に消える間際、もう一人の女性も来て下さり、お二人で私を見送って下さいました。

こうして4泊5日の沖縄旅は幕を閉じました。

何だか1ヶ月くらい滞在したような氣持ちです。

人の心の温かさに触れた旅でした。

出逢って下さった全ての人に感謝です。

ありがとうございました!!

そしておばぁ、あちらの世界から色々とご手配下さり、本当にありがとうございました!!!

沢山の方々に導かれて、これからの未来がとても楽しみです。

縄文・アイヌの神様、ネィティブアメリカンの神様、待っていて下さいね。

「目に見えない何か」をおつなぎいたします。。。

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