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平和への願いを歌に託し 盲目のテノール歌手「新垣勉さん」

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12日の「報道ステーション」で沖縄に生まれた盲目の歌手新垣勉さんの事を知りました。

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私の亡き彼も全盲であり、沖縄と歌が大好きだったので、白杖をつきながら歩く新垣さんの後ろ姿に彼の面影を重ねてしまいました。

まずは、新垣さんの素晴らしい歌声をお聴きください。



新垣勉(あらがきつとむ)さんは、昭和27年に沖縄県中頭郡読谷村で在日米軍人であったメキシコ系アメリカ人の父と、沖縄に住む日本人の母との間に生まれました。

あろう事か、出生後まもなく助産婦に誤って劇薬を点眼され全盲となってしまった事が彼の数奇な運命の始まりでした。

やがて彼が1歳の時に両親が離婚し、父親はアメリカに帰国して消息不明となりました。

その後母親は再婚したため、彼は母方の祖母に引き取られたのでした。

しかし、ずっと彼は祖母を自分の母親だと、実の母親を姉だと信じて暮らしていたのでした。中学生の頃、みかねた近所の方に真実を告げられるまでは。。

本当の事を知った新垣さんは、両親に対する怒りと恨みが込み上げ、自分の存在をも呪うようになりました。

その頃の事を新垣さんはこう語ります。

「中学2年生の時、59歳の祖母が脳梗塞で倒れました。時々看病に来る母には気持ちを開けず、きつい言葉を浴びせました。

祖母は、入院するお金もなく、そのまま家で3カ月くらいして亡くなりました。それで私は、一人ぼっちになりました。

目が見えて何でも揃っている人と、障がいがあって家族もいない自分。

こんな不公平はない。自分が生きている意味があるのか、早く死んだほうがいいんじゃないかと強く思いました。」

photo:03


そして彼は、隣の家の井戸に飛び込み自殺を図りましたが、友人に助けられて一命を取り留めたのでした。

しかし、死ぬ事も出来なかった彼にやがて、運命の出会いが訪れたのです。

その頃ラジオから流れてくる賛美歌だけが彼にとっての心の癒しでした。

そんなある日、賛美歌が聴こえてくる教会に立ち寄るようになり、一人の牧師・城間祥介さんと出会う事になるのです。

photo:02


サマーキャンプの時、高校生の彼は、城間さんに今までの人生を全て語りました。そして彼が抱えている思いを全部城間さんにぶつけました。

「大人になったら両親を探し出して殺し、自分も死ぬつもりだ。」と。

城間さんは黙って彼の話を聞いていました。

牧師ならば普通「両親を殺すだなんて、そんな事を考えるのは良くないよ。両親を許してあげなさい。」と説得してくるものと新垣さんは思っていました。

ところが、盲目の新垣さんは、城間さんが静かに泣いていることに気づいたのです。

「自分のために涙を流してくれる人がいる」

その事に新垣さんは感動を覚えたと言います。

それから、城間さんは彼を自分の家族の中に招き入れ、自分の子供たちと同じように接してくれるようになったのでした。

photo:04


城間さんの優しさで、立ち直った新垣さんはやがて牧師となり、聖歌隊としての奉仕活動も活発に行ない、歌うことに目覚めていきます。

そして、西南学院大学に在学中、イタリア人のボイストレーナーのアンドレア・バランドーニ氏に「君の声は日本人にはないラテン系の素晴らしい響きをしている」と絶賛されたことが、彼の人生を変えることになるのです。

そして「あなたの声は、神様からのプレゼント、そしてラテン系の父親からのプレゼントでもあるんだよ。」と言われた事により、しだいに両親を恨む気持ちが感謝の気持ちに変わっていったのでした。

photo:05


自分が今までマイナスだと思っていた事が、プラスに変わるきっかけでした。

自分の身体は歌うためにあったんだ。

その頃から本格的に歌手活動をしたいと考え始めましたが、売り込み先から「音大も出ていないのに声楽家を目指すとはおこがましい」と言われた事から、34歳で武蔵野音楽大学に入学し、盲目というハンデを乗り越え大学院まで進みました。

その後、チャリティーコンサートなどで歌を披露するようになり、2001年には、寺島尚彦氏作詞·作曲の『さとうきび畑』で初のCDを発売しています。

まさにこの『さとうきび畑』の歌には、激戦地沖縄が歩んだ辛く悲しい歴史と、新垣さんの壮絶な半生が重なり合っているのです。

こうして新垣さんは、平和への祈りをこの『さとうきび畑』に託し、各地のコンサートで歌い続ける日々を送っています。

新垣さんの母の日のコンサートに初めて招かれた実の母親が、息子の歌を泣きながら聴いていて、ついにいたたまれなくなり席を立って帰ってしまう動画を見ました。

お母様のお気持ちが痛々しいですが、彼がこうして歌うためには、これまでの境遇は全て意味のあることだったと感じました。

私は、数年前にラジオから流れて来た「さとうきび畑」を聴きながら一緒に口ずさんでいたのですが、歌いながら突然号泣してしまった事があります。

まるで何かに乗り移られたかのように、大きな悲しみが襲ってきたのでした。

あの時の感情を私は忘れる事は出来ません。戦争はもう二度と起こしてはいけないという深い深い想いのこもった歌を身体全体で感じてしまったのでした。

辛い半生があるからこそ歌える『さとうきび畑』の曲は、まさに新垣さんの為にあると言っても過言ではないくらいです。

こちらの動画に新垣さんの半生が語られていますので、お時間のある方はご覧くださいね↓



新垣さんは言います。

「私は戦争がなければ生まれて来なかった。その私が生きているからこそ、平和の役に立ちたい。」

また、自らを「戦争の傷跡」だとも言っています。だからこそ、平和の歌を歌いたいと。。

この平和への祈りは、今の政治家たちに届くでしょうか。届いて欲しいと願います。

では、新垣さんが歌う『さとうきび畑』是非お聴きになってください↓



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